664 :鬼女日記 2011/07/21(木) 20:02:44 0
うちの父は私が物心ついた頃から鬱病で入退院を繰り返していました。
当然まともな職につけるはずもなくずっと無職。
私と兄と弟を食べさせて学校にも行かせてくれたのは母だった。
母は美容師でしたが開業資金がなかったため(全部父の治療費と、私たちの学費で消えた)
ずっと雇われでやっていました。
美容師は若い子優遇で、店長でもない限り長くはやっていけない業界なのに
母は私たちのため、同僚に笑われながらもずっと働いてくれていた。
そんな母を尊敬していたし恥ずかしいと思うことはなかったんだけど
兄が中学生になってからお弁当という問題に直面した。
遠足なんかのときは母もはりきって作ってくれてたんだけどさすがに毎日は難しい。
兄と弟と私とでなんとかがんばって、
・米を炊く
・たまごを焼く(スクランブルエッグ的ぐちゃぐちゃ)
・ウインナーをチン
・プチトマト、きゅうり
という体裁だけでもなんとか整えられるようになりました。
当然まともな職につけるはずもなくずっと無職。
私と兄と弟を食べさせて学校にも行かせてくれたのは母だった。
母は美容師でしたが開業資金がなかったため(全部父の治療費と、私たちの学費で消えた)
ずっと雇われでやっていました。
美容師は若い子優遇で、店長でもない限り長くはやっていけない業界なのに
母は私たちのため、同僚に笑われながらもずっと働いてくれていた。
そんな母を尊敬していたし恥ずかしいと思うことはなかったんだけど
兄が中学生になってからお弁当という問題に直面した。
遠足なんかのときは母もはりきって作ってくれてたんだけどさすがに毎日は難しい。
兄と弟と私とでなんとかがんばって、
・米を炊く
・たまごを焼く(スクランブルエッグ的ぐちゃぐちゃ)
・ウインナーをチン
・プチトマト、きゅうり
という体裁だけでもなんとか整えられるようになりました。