子どもが通っている学校では『子どもの権利』と言うものを
尊重しているのか『いやなものはイヤと言おう』という
子どもの権利について道徳の授業がありました。
単純にイヤだと思えばイヤだと言う勇気や権利を
教えているそうなのですが
(悪い誘いに乗らないようにとの対策も意味するのでしょう)、
この方針が子どもには良く理解されて居らず、
疑問に思っています。
わかりにくいと思うので例をあげて言いますと
『片付けなさい』
これがイヤならイヤと答えても良い、理由があるなら
やらなくても良い。子どもはそう解釈しているみたいです。
話を聞かず返事をしない子に
『まずは返事をしお父さんお母さんの話を聞いて
イヤならイヤと言いましょう』
と教育されているのです。
私には、学校が親の発言力や存在を軽んじるような教育
にしか思えません。
確かに事柄によって選択肢を増やし逃げ道を作ってあげる事も
大事ですが、それは親が作るものであり、何でもかんでも
子どもに選択肢を増やさせるものではないのでは?と思います。
子ども時代は自由のようで不自由であり、理不尽に感じる事も
あると思いますが、それを吸収する事によって
物事の善悪が解るようになるのでは?と思えて仕方ないのです。
続きます
尊重しているのか『いやなものはイヤと言おう』という
子どもの権利について道徳の授業がありました。
単純にイヤだと思えばイヤだと言う勇気や権利を
教えているそうなのですが
(悪い誘いに乗らないようにとの対策も意味するのでしょう)、
この方針が子どもには良く理解されて居らず、
疑問に思っています。
わかりにくいと思うので例をあげて言いますと
『片付けなさい』
これがイヤならイヤと答えても良い、理由があるなら
やらなくても良い。子どもはそう解釈しているみたいです。
話を聞かず返事をしない子に
『まずは返事をしお父さんお母さんの話を聞いて
イヤならイヤと言いましょう』
と教育されているのです。
私には、学校が親の発言力や存在を軽んじるような教育
にしか思えません。
確かに事柄によって選択肢を増やし逃げ道を作ってあげる事も
大事ですが、それは親が作るものであり、何でもかんでも
子どもに選択肢を増やさせるものではないのでは?と思います。
子ども時代は自由のようで不自由であり、理不尽に感じる事も
あると思いますが、それを吸収する事によって
物事の善悪が解るようになるのでは?と思えて仕方ないのです。
続きます