土. 11月 23rd, 2024
330 :殿堂 2012/09/07(金) 09:19:21 0
受験の修羅場書き捨て。
うちは高校二年生の時両親が離婚、母のもとで生活していた。
父がサイマーで家計は火の車らしかったけど、そんな事情を気取らせることなく
家にはいつもお菓子のストックがあり、好きなものも買ってもらえていた。
生活を制限されたことも、苦労させられたこともなかったのは、本当に感謝している。
けれど逆に、家庭の経済状況はまったく教えてもらえなかった。

私が通っていたのは、県下でも三本の指に入る(高校教師陣自称)公立進学校。
大学に行くのが当然で、それ以外の進路を選択しようものなら変えるよう何度も説教。
進路決定が本格化した際に、私は母に進路について話した。
母は、行きたいところに行けばいい、お金は気にするなとだけ言って、あとは忙しいで打ち切り。
馬鹿な私は、県外の私立大を第一志望として据えた。
返還なしの奨学金がでること、何よりも、その学科がそこにしかなかったため。
当時不登校で、自立しなければと強く思っていたため、世話焼きで過保護気味な母から
離れたかったというのも一つあった。

高校三年の10月。自宅で三者面談が行われた。
進路決定と成績表を並べ、ドヤ顔で進路決定の理由を述べる私。
母はじっと進路を見つめ、私の話を遮って言った。

「うちに県外の大学へやるお金はありません。自宅から通える国公立しか無理です。
だいたい、料理のできないあんたに一人暮らしは無理。今の状態じゃ友達も作れなくて
途中でやめて帰ってくるのがオチでしょう」

なんでこんなぎりぎりまで話してくれなかったのかとかそこまで言うかとか
料理できないのは母が台所に入れてくれないせいだろうとかいろいろ考えて撃沈。
担任はお花畑でそれなら教育学部に行けばいいと一人でマシンガントーク。
結局そこから大幅に進路変更(第二志望も県内私立)
国公立で無理やり行きたいところを選出したものの成績が足りず落ちて
専門学校へ入学が決まりました。
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