木. 11月 28th, 2024
163 :名無しさん@おーぷん 2017/10/09(月) 16:26:47 ID:0pT
小6のときの担任の話。
私の心が修羅場だったのと母と担任が修羅場だった。

小6の頃の担任、常に化粧もバッチリで髪も染めてて、いかにもギャルやってました感が満載。
生徒の社交性を重んじるって言ったら聞こえはいいけど、要はクラスの中心にいる運動の得意な活発な子を完全に贔屓してた。

私は端っこで金魚の世話したり絵を描いたりしていて、外遊びもリーダーシップをとるのも苦手だったから、当時もその先生から嫌われているのは自覚していた。
言葉や対応が明らかに冷たかったからね。

まあいくら嫌いでもこれはないだろって感じだったのが一学期の成績事件。
成果のわりにやたら低い評価をつけられたので母が直談判に行った。

この件は私が完全に忘れてたので母から聞いた。たぶん衝撃的すぎて封印してたんだと思う。

授業は静かに受けテストはほぼ100点、宿題も欠かさず出していた私の成績がオール3(五段階評価)でつけられてた。
5年生のとき(体育4、それ以外オール5だった)と全く同じ態度で授業を受けていた私は混乱して、夏休み早々帰宅するなり通知票抱えて玄関で泣き崩れたらしい。

私が泣きながら言ったことを要約すると、
「『もっと頑張りましょう』って何を頑張ったらいいの、宿題も全部出したのに」
「テストも全部お母さんに見せたよ、全部いい点だったでしょ」
とかいう頑張ったから怒らないでアピール。

小学校の頃は勉強も好きで、それなりのプライドもあったからショックだったんだと思う。
今では単位があっただけで喜ぶ私が贅沢を言っていたときもあったんだ(遠い目)


長いので一旦切る
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