367 :名無しさん@おーぷん
中学の時、ちょっと変わった同級生の男の子(A)がいた。
Aは例えば体育の授業でソフトボールをやると、自分がピッチャーじゃないと気が済まない。
他のポジションを与えると大声で文句を言い、思い通りにならないと泣き叫ぶ。
仕方なくピッチャーをやらせれば、打たれると同じようにキィィィィ!!となる。
ドッヂボールをやると執拗にひとりだけ狙った。その子はクラスで一番身体が小さい女の子で
毎回その子を明らかに狙っている。泣かしたこともあった。
その子が可哀想で、みんなで囲んで守ったこともあった。
そして自分がボールを当てられると激高してボールを遠くに蹴り飛ばしたりする。
とにかく我儘で自分勝手で協調性がない。
そのくせ勉強だけは学年トップだった。たぶんこれも一番じゃないと気が済まないんだろう。
今思えばなんらかの障碍だったような気もするが、当時は“勉強はできるが関わりたくない子”と思われていた。
3年生になっていよいよ受験一色になってきた頃、トップが入れ替わった。
これまで不動の一位だったAはトップを奪われたどころか3位だったか4位だったかまで落ちた。
(ちなみにうちの中学は上位20位まで廊下に貼り出していた)
そこから登校拒否が始まった。
先生たちは一生懸命説得に向かっていたが、私たちは正直言って受験のことで頭が一杯だったし
むしろ平和になったわ〜って感じだった。
Aには悪いけど、いつもいつAが癇癪起こさないかとヒヤヒヤしてたから。
結局留年にならない程度には登校していたが、成績はどんどん下がり志望校も滑り止めもダメだったらしい。
以来Aがどうなったか話題になることもなかった。
成人式のあと、中学のクラス会があった。
前以て案内があって、卒業した中学の教室に集まることになっていた。
そこで初めて幹事からAが亡くなっていたことを知った。
幹事も案内状の回収で初めて知ったそうだ。
最初こそ微妙な空気になったものの、次第に久しぶりの再会に盛り上がるクラス会。
その会場に突然知らない女性が現れた。Aの母親だった。
そして誰の案内もなく唐突に挨拶が始まった。
Aが自室で縊タヒしたこと、その時の様子を語りだした。
まるで小説を読んでるみたいに淡々とした口調だったけど内容は生々しくて
出席していた担任の先生が止めようとしたけど振り払って語り続けた。
時間はたぶんそんなに長くはなかったと思う。でもすごく長く感じた。
そして最後に「あなたたちの誰も息子の悩みに気付いてくれなかった」とか
「たったひとりでも声を掛けてくれる人がいれば」とか
「息子に友達がいなかったのは息子の責任ですか?」とか
なんか他にも私たちを責める言葉を泣きながら吐いて帰って行った。
しばらくシーンとしてたけど、担任の先生が
「黄身たちの責任ではない。俺たち教師の責任だから、お前たちは自分の人生を全うしろ」とか言って
やっと少しずつ場が和らいでいった。
息子を亡くした母親の悲しみは想像でしか分からないけど、
本音を言えば私は先生たちのせいでもないと思う。
先生は精一杯指導してた。
だけど思い通りにならないと癇癪を起こし授業にならない。
生徒はAひとりではないし、私たちは受験生だった。
あの頃、Aに対し、私たちに一体何ができたんだろう。
Aは例えば体育の授業でソフトボールをやると、自分がピッチャーじゃないと気が済まない。
他のポジションを与えると大声で文句を言い、思い通りにならないと泣き叫ぶ。
仕方なくピッチャーをやらせれば、打たれると同じようにキィィィィ!!となる。
ドッヂボールをやると執拗にひとりだけ狙った。その子はクラスで一番身体が小さい女の子で
毎回その子を明らかに狙っている。泣かしたこともあった。
その子が可哀想で、みんなで囲んで守ったこともあった。
そして自分がボールを当てられると激高してボールを遠くに蹴り飛ばしたりする。
とにかく我儘で自分勝手で協調性がない。
そのくせ勉強だけは学年トップだった。たぶんこれも一番じゃないと気が済まないんだろう。
今思えばなんらかの障碍だったような気もするが、当時は“勉強はできるが関わりたくない子”と思われていた。
3年生になっていよいよ受験一色になってきた頃、トップが入れ替わった。
これまで不動の一位だったAはトップを奪われたどころか3位だったか4位だったかまで落ちた。
(ちなみにうちの中学は上位20位まで廊下に貼り出していた)
そこから登校拒否が始まった。
先生たちは一生懸命説得に向かっていたが、私たちは正直言って受験のことで頭が一杯だったし
むしろ平和になったわ〜って感じだった。
Aには悪いけど、いつもいつAが癇癪起こさないかとヒヤヒヤしてたから。
結局留年にならない程度には登校していたが、成績はどんどん下がり志望校も滑り止めもダメだったらしい。
以来Aがどうなったか話題になることもなかった。
成人式のあと、中学のクラス会があった。
前以て案内があって、卒業した中学の教室に集まることになっていた。
そこで初めて幹事からAが亡くなっていたことを知った。
幹事も案内状の回収で初めて知ったそうだ。
最初こそ微妙な空気になったものの、次第に久しぶりの再会に盛り上がるクラス会。
その会場に突然知らない女性が現れた。Aの母親だった。
そして誰の案内もなく唐突に挨拶が始まった。
Aが自室で縊タヒしたこと、その時の様子を語りだした。
まるで小説を読んでるみたいに淡々とした口調だったけど内容は生々しくて
出席していた担任の先生が止めようとしたけど振り払って語り続けた。
時間はたぶんそんなに長くはなかったと思う。でもすごく長く感じた。
そして最後に「あなたたちの誰も息子の悩みに気付いてくれなかった」とか
「たったひとりでも声を掛けてくれる人がいれば」とか
「息子に友達がいなかったのは息子の責任ですか?」とか
なんか他にも私たちを責める言葉を泣きながら吐いて帰って行った。
しばらくシーンとしてたけど、担任の先生が
「黄身たちの責任ではない。俺たち教師の責任だから、お前たちは自分の人生を全うしろ」とか言って
やっと少しずつ場が和らいでいった。
息子を亡くした母親の悲しみは想像でしか分からないけど、
本音を言えば私は先生たちのせいでもないと思う。
先生は精一杯指導してた。
だけど思い通りにならないと癇癪を起こし授業にならない。
生徒はAひとりではないし、私たちは受験生だった。
あの頃、Aに対し、私たちに一体何ができたんだろう。