53 :プリンはのみものです。 2015/09/02(水) 16:37:05 0.net
私が小学校の中~高学年のとき、なぜか母が「養子をもらおう!」と意気込んで、講習(?)とかに
私や父を連れて行きまくった。もちろん母一人でも行きまくってた。
父はとめていたようだが、母は逆に父を説得してしまった。
それから母は一人の男の子(8歳くらい)を週末だけ預かるようになった。私の目から見て、そのこは大人しいと思った。
返事もはきはきして、母に懐いていたようだった。でもずっと家に泊まるようになると、少しずつ凶暴になった。
私は何度も髪を引っ張られたり殴られて痣できた。石も投げられた。
母も父も噛みつかれたりしたらしい。特に夜がひどくて、物を投げたり叫んだりしてた。
私はそのときのことがほとんど記憶にない。恐怖で、部屋でラジオの音量を最大にして聞いてた。
あとで聞いた話だけど、そのこは親からひどい虐待を受けて施設にいた子みたい。
母は、たぶん「まともな家庭の温もりを与えてあげよう」みたいなことを思っていたみたいだけど、我が家では無理だった。
数か月してその子がいなくなったときは、父と一緒に泣いて喜んだよ。
私や父を連れて行きまくった。もちろん母一人でも行きまくってた。
父はとめていたようだが、母は逆に父を説得してしまった。
それから母は一人の男の子(8歳くらい)を週末だけ預かるようになった。私の目から見て、そのこは大人しいと思った。
返事もはきはきして、母に懐いていたようだった。でもずっと家に泊まるようになると、少しずつ凶暴になった。
私は何度も髪を引っ張られたり殴られて痣できた。石も投げられた。
母も父も噛みつかれたりしたらしい。特に夜がひどくて、物を投げたり叫んだりしてた。
私はそのときのことがほとんど記憶にない。恐怖で、部屋でラジオの音量を最大にして聞いてた。
あとで聞いた話だけど、そのこは親からひどい虐待を受けて施設にいた子みたい。
母は、たぶん「まともな家庭の温もりを与えてあげよう」みたいなことを思っていたみたいだけど、我が家では無理だった。
数か月してその子がいなくなったときは、父と一緒に泣いて喜んだよ。