556 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 14:45:31 ID:33q
何事もチャキチャキサバサバとこなしていく
スーパー良トメだった義母が癌で余命宣告を受けたときに
普段と全く同じチャキチャキした勢いで
あっと言う間に家を整理してしまったのが衝撃だった。
かなり衣装持ちな人だったのに最低限の洋服を残してサッパリ処分。
小さなタンスに入院介護に適した下着類とパジャマ類を多めに入れて
普段着は本当に最小限。
あとお気に入りのスーツが1着。
正月に義実家で集まったときに全員に向かって今後の指示を出すと共に
「タンスのスーツは棺桶に入る時用だから忘れないで着せてね!」と宣言。
遺影用の写真はコレ・葬儀屋はあそこ・でも最小限の葬式でいい・
連絡して欲しい人リストはこちら・遺産というほどの物は義実家くらいだが
ここは査定価格でこれくらいだから誰も住まないなら売って分けろなどなど。
諸々の指示をサクサクと飛ばして義実家で3ヶ月一人で過ごした後に
自分で選んだホスピスに入って2ヶ月で先に亡くなってた義父のところに旅立った。
ホスピスに入ってから義実家に行ったら本当に何もない。
でも誰かが泊まるくらいは出来るように最小限の布団や食器は残してある。
ちょっと古びた旅館みたいな感じになってた。
なんというか潔く綺麗な旅立ちで悲しむよりも先にあっけにとられた。
最後の荷物に年代別の家族写真を見つけて初めてみんなで泣いた。
自分も見習いたいと思う。
スーパー良トメだった義母が癌で余命宣告を受けたときに
普段と全く同じチャキチャキした勢いで
あっと言う間に家を整理してしまったのが衝撃だった。
かなり衣装持ちな人だったのに最低限の洋服を残してサッパリ処分。
小さなタンスに入院介護に適した下着類とパジャマ類を多めに入れて
普段着は本当に最小限。
あとお気に入りのスーツが1着。
正月に義実家で集まったときに全員に向かって今後の指示を出すと共に
「タンスのスーツは棺桶に入る時用だから忘れないで着せてね!」と宣言。
遺影用の写真はコレ・葬儀屋はあそこ・でも最小限の葬式でいい・
連絡して欲しい人リストはこちら・遺産というほどの物は義実家くらいだが
ここは査定価格でこれくらいだから誰も住まないなら売って分けろなどなど。
諸々の指示をサクサクと飛ばして義実家で3ヶ月一人で過ごした後に
自分で選んだホスピスに入って2ヶ月で先に亡くなってた義父のところに旅立った。
ホスピスに入ってから義実家に行ったら本当に何もない。
でも誰かが泊まるくらいは出来るように最小限の布団や食器は残してある。
ちょっと古びた旅館みたいな感じになってた。
なんというか潔く綺麗な旅立ちで悲しむよりも先にあっけにとられた。
最後の荷物に年代別の家族写真を見つけて初めてみんなで泣いた。
自分も見習いたいと思う。
557 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 17:32:17 ID:D6Z
立派な人だな
同じようなことをできる自信が全くないw
同じようなことをできる自信が全くないw
558 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 18:40:03 ID:ua2
ぜひ見習いたいもんだ
普段から各情報や持ち物なんかの出来ているからこそ
最後の片付けもサクサクと進められたんだろうな
自分の衝撃的な体験は中2の頃
「人に呼ばれたら返事をしなければならない」というのを理解した時のことだな
多分若干発達入ってたんだと思うんだけど自分はズレた子供だった
そのズレが表れてたものの一つが返事をしないということだった
というか返事をするという概念がなかった
名前を呼ばれたら、とりあえず相手は自分に用事があるんだろうと思って黙りこくってた
名前呼んだ時点で俺の注意を引き付けられてるんだから後はどうぞ喋ってくださいって感じ
だから親に返事をしろと怒られても意味が分からなかった
ある日先輩に呼び出されて「なんで普段名前を呼ばれても返事せんの?」と聞かれた
上の通り答えたら先輩は「なるほど一理ある」と言ってから
「でもな、名前呼んでも返事返ってこんかったら相手はどう思うと思う?
聞こえんかったんかな?って不安になるねん。
やからお前がどうぞ喋ってくださいと思っててもそもそも無理やねん。
それに無視されたか、嫌われたかと心配にすらなることもある。
人を傷つけたらあかんよ」と続けた
その理屈が俺にはすごく衝撃的で、でも同時にそういうことなら返事をしようと納得できた
ついでにその時からもしかして自分は変なのかもしれないと思って
発達障碍とは何か、みたいな本を読み漁るようになって
だいぶまともな感覚を身につけたり、それなりの行動を取れるようになった
凄く地味なことなんだけど大事なことだったと思う
普段から各情報や持ち物なんかの出来ているからこそ
最後の片付けもサクサクと進められたんだろうな
自分の衝撃的な体験は中2の頃
「人に呼ばれたら返事をしなければならない」というのを理解した時のことだな
多分若干発達入ってたんだと思うんだけど自分はズレた子供だった
そのズレが表れてたものの一つが返事をしないということだった
というか返事をするという概念がなかった
名前を呼ばれたら、とりあえず相手は自分に用事があるんだろうと思って黙りこくってた
名前呼んだ時点で俺の注意を引き付けられてるんだから後はどうぞ喋ってくださいって感じ
だから親に返事をしろと怒られても意味が分からなかった
ある日先輩に呼び出されて「なんで普段名前を呼ばれても返事せんの?」と聞かれた
上の通り答えたら先輩は「なるほど一理ある」と言ってから
「でもな、名前呼んでも返事返ってこんかったら相手はどう思うと思う?
聞こえんかったんかな?って不安になるねん。
やからお前がどうぞ喋ってくださいと思っててもそもそも無理やねん。
それに無視されたか、嫌われたかと心配にすらなることもある。
人を傷つけたらあかんよ」と続けた
その理屈が俺にはすごく衝撃的で、でも同時にそういうことなら返事をしようと納得できた
ついでにその時からもしかして自分は変なのかもしれないと思って
発達障碍とは何か、みたいな本を読み漁るようになって
だいぶまともな感覚を身につけたり、それなりの行動を取れるようになった
凄く地味なことなんだけど大事なことだったと思う
559 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 18:46:02 ID:Puy
>>556
カッコいいばあちゃんだ!
これは見習いたい。
カッコいいばあちゃんだ!
これは見習いたい。
560 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 19:14:35 ID:jmS
>>556
立派だねえ
立つ鳥跡を濁さずを絵に描いたような人だ
立派だねえ
立つ鳥跡を濁さずを絵に描いたような人だ