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270 :キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ- 2013/02/03(日) 09:38:47 .net
姑が末期癌でタヒんだ。
苦しんで苦しんでタヒんだ。
実の母親の病気に向き合えない旦那は私に付き添いを任せて逃げた。
私は毎日欠かさず一日朝から晩まで付き添った。
姑の地元病院から、私たちの近場の病院に転院させるまで
旦那にガンガン私が責められていた。賭けは苦しくて全て私にぶつけていた。
「ひとでなし人の親だと思って冷たい女だ結婚しなければ良かった鬼畜」
病気が発覚するまで私と姑は絶縁していた。姑の借金問題で
それまで色々とトラブルを起こされては私が処理するのに疲れたから。
それも旦那に「お前がおかんを癌にした」と責められ、最終的に引き取りOkした。
意地もあった。最後まで迷惑かけられてと命を盾にしてと、仕事を早退して
洗濯物持って花を買って付き添った。
最初にこちらにうつれた病院は姥捨て山みたいだった。
ただタヒを待つのみで、声も出せない姑は粗相をしたと怒鳴られてた。
姑は私が何か言うたびに小さく笑って「ここでいい」とタヒぬ覚悟だった。
流動食すら、もうとれなくて目も見えず体も半身不随だった。
それでも必タヒでペコペコと私に頭を下げる姿を見て
「あーこの人は、ただ自分で小さな問題を処理する事ができない弱い人なんだ」
と今までの恨みが半分に減った。
別の病院の相談室に毎日私は「こちらで姑を引き受けて欲しい」と頼み込んだ。
そしてやっと移動できた。姑は泣いた。旦那も「ありがとう」とは言ってくれた。
やっとプライバシーのあるカーテンの大部屋にうつり、オムツも体も拭いてもらえた。
看護婦さんも優しい言葉をかけてくれ、テレビも備えてあった。
少し回復した姑は声が少し出るようになった。笑顔も増えた。
「あんたに一番迷惑かけた。あんたのお陰、本当にありがとう」
その言葉で私が一番救われた。恨みが消えた。
いつタヒんでもおかしくなかった。娘がバァバにと猫の写真をとっては話していた。
体が痛いと言えば体を撫でた。「薬増やしてもらおうね」と慰めた。
もうタヒしかなくて痛みに耐える必要はなかった。
あとは意識混濁だけが問題だった。
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