日. 11月 24th, 2024
61 :名無しさん@おーぷん 2014/05/16(金) 03:37:28 ID:5mrCuBUL8

あんまり酷くないけど、個人的には最大の修羅場。
小学校低学年の頃の出来事です。

友達の家で遊んで、夕方頃帰宅最中に車の後部座席に姉を乗せた母方の祖母とすれ違った。
酷く慌てたように「早く家に戻れ」と言われ、不思議に思いながら帰宅すると、今度は父方の祖母が家にいた。

「お母さんが事故に遭って、病院に入院した。もうすぐ父さんが来るから一緒に病院に行こう」

そう言われたものの、イマイチ事態が理解できなくて、泣もせずに忍たま乱太郎を観てると、父が到着。
病院に着いて案内されたのは集中治療室。
そこに居たのは、沢山の管を着けた母だった。
その姿を見た瞬間にようやく事態を理解して号泣。
意識がかろうじてあった母が

泣かないで
お母さん笑った顔が見たい
明日のマラソン大会見に行けなくてごめんね。頑張ってね

と弱々しくしゃべっているのを聞いてさらに号泣。
笑ってと言われても笑えるわけがなく、泣きじゃくりながら
絶対に1番取るから!!と約束した。
そのあとすぐに母の意識がなくなり、私たちは部屋を追い出された。

長いといわれたので分けます。
62 :名無しさん@おーぷん 2014/05/16(金) 03:38:05 ID:5mrCuBUL8

一晩明けてマラソン大会当日。
母方の祖母がうちに泊まって面倒を見てくれていたけど、ここで問題が発生する。

当日の朝に、体温を計り、いろんな項目をチェックして、最後に参加同意書に判子を押さなきゃいけないんだけど、判子の場所がわからない。
子供の私と姉が知るわけがないし、同居していないので祖母もわからない。
肝心の父はすでに仕事に出ていて、当時はケータイも持っていなかったので連絡できない。

しょうがないので、苗字を丸で括って印鑑の代わりとしてサインして持って行った。

学校では当然の如く認められないと言われてしまった。
今なら考えてみればそりゃそうだと思うけど、当時は事情を話せば大丈夫だと本気で思ってた。
だけど事情を話しても担任は
「そんなの知らない。連絡も着ていない」の一点張り。
私が泣きながら本当だと伝えてもだめだった。
ついに朝の会が終わり、説得できないまま担任は教室を出て行った。

ぐずぐず泣きながら見学者の集合場所へ向かうと、慌てた様子で、体育教師がやってきた。

「事情を把握した。マラソン大会出れるよ!」

その言葉を聞いた瞬間私大泣き。
一つ上の学年だった姉の担任が姉から話を聞いてすぐに動いてくれたらしい。

そんなこんだでマラソン大会に参加できた私は1番はとれなかったけど学年10番以内に入賞できた。

この後、過失10割に近かった相手が、母が入院してたのいい事に好き勝手言って過失を減らそうとしてたり
無事後遺症もなく回復して退院した母に医療ミスが発覚してまた再入院したりしましたが
当時子供だった私はそんな事があったということも知らなかったし
母の再入院に関してはちょっとオカルト混じりが入ってきてスレチになるので割愛します。

大人にとっては過失云々が1番の修羅場だったかも知れませんが、私にとっての修羅場は母と約束したのにマラソン大会に出れないかもしれないという時のガクブル感が最大の修羅場でした。
私が20後半になった今でも母は元気です。
運良いのか、今のところこれ以上の修羅場は体験していない。
65 :名無しさん@おーぷん 2014/05/16(金) 07:32:02 ID:R388F8QLl
>>62
大変だったな。ちょっと先生にムカついた。