255 :プリンはのみものです。
ウチの家は母の日のプレゼントが原因で両親が離婚した。
母は誰がどう見ても『猛毒母』って判断がつく人間だったと思う。
昔はそうではなかったらしいが、私と弟が生まれてからは性格が急変したんだそうな。
そんな母の性格を短くまとめると『天上天下唯我独尊』『異論反論反抗厳禁』『有象無象俺様解釈』。
この三つで全ての説明がつく。
とにかく如何なる理由があっても自分最優先。他はガン無視。
こっち(主に私)が何か自分の意見を言うと途端に大爆発して暴れまくり(無論殴られることはザラ)、最悪の場合家を飛び出して数日居なくなる。
父や祖父母(父の側の祖父母は亡くなっており、母方祖父母と暮らしてた)が何度も諌めようとしてくれたが、
「どうしてコイツ(私)の味方をする。教育のためなんだから私に味方しろ」と金切り声で叫んで更にヒートアップする有様。
父は何度も離婚を考えたらしいが、当時5歳と3歳だった私と弟の事が母に引き取られたらと思うと心配で踏み止まっていたらしい。
しかし、そんな父が離婚を決断する事件が母の日に発生した。
前置きしておくと、母は凄まじい(どころの騒ぎではない)メシマズ。
味付け・レシピ・調理方法…これら全てが俺様解釈。
なんてったって、お湯で溶かすだけの赤ん坊用のミルクに「身体にいいから」という理由で黒酢をお湯と同量入れるという恐ろしい事をやらかしたくらいだし。
それを嫌がって泣きだした当時赤ん坊だった弟と「こんな物赤ちゃんに飲ませちゃダメだ」という祖母にキレまくって母は数日間家出した。
なもんだから、私は母が作った料理を美味いと思ったことは一度もない。
そんな母でも母は母だから「母の日だから、母のために晩御飯を自分で作ろう」と思ってそれを祖父母に提案。
祖父母もそれに賛成してくれた。
慣れないけども祖母の助けを借りながら包丁を使って野菜を切り、ひき肉を混ぜてがんばってハンバーグを作った。
そして、完成からちょっと経ってから、パートから帰って来た母をリビングに誘導して「いつもありがとうお母さん」と言って母の日の初めてのプレゼントのハンバーグを見せた。
母の返答は「ありがとう」でも頭を撫でてくれるでもなく、鉄拳だった。
母の拳は私の右目の下あたりにクリーンヒットして、私は1メートルくらい吹っ飛ばされた。
「ふざけたマネをしやがって、私を馬鹿にしているのか、こんな事をして私を虚仮にして楽しいか」とそれまでの6年間の生涯で最大最凶レベルの大噴火を起こしながら暴れる母。
もっとも私は本気で殴られた顔面が痛くて泣き叫びながら悶絶しており、母の罵声怒声しか聞こえなかったが、それでも母のブチギレっぷりは今までの比じゃない事は理解できた。
祖父母も母の凶行に激怒して母を取り押さえようとするが、テーブルをひっくり返し、電気ポットを投げつけ、電話機を振り回す母は手に負えなかった。
そのまま母は「タヒんじまえ、お前らみんなくたばっちまえ」と絶叫して家を飛び出してった。
祖父は母の大暴走に怯えて泣き叫ぶ弟を落ち着かせようと、弟を抱きしめながら必タヒに背中を撫でていた。
祖母は泣きながら「ごめんね、痛かったろうね、もう大丈夫だからね」と言い、号泣する私の腫れあがった顔に氷水で冷やしたタオルを当ててくれた。
それから離婚騒動に発展するが、母は徹頭徹尾金の話しかしてなかったらしい。
親権はくれてやる。その代わり家と父の貯金は全てよこせ。それが母の主張だったらしい(これは祖父母が泣きながら話しているのを聞いた事で知った)。
で、母が私に振るった暴力の証拠とか家で暴れた記録とか詳細に残ってても女って有利なんだね。
結局父は親権と車以外ほとんど母に奪われた(親権に関しては母が「こんなガキは要らない」と言ったからだそうだが)。
祖父母が「慰謝料・養育費の代わり」ってことで自分達のポケットマネーからこっそりお金を出してくれて引っ越しをすることができたらしい。
それから父は男手一つでしっかり真面目に私と弟を育て上げてくれたため、私も弟もグレずに済んだ。
ちなみに祖父母は「母を監視し、色々な人に迷惑をかけさせないようにする」という目的で母と同居を続けることになった。
つい先日、「(元)母が、私か弟のどちらかを老後のアテにしようと嗅ぎ回ってるから最大限警戒してくれ」
って連絡が祖母から父にあったらしく、弟(父と同居)はセコム取り入れたらしい。
私はオートロックマンションだから襲撃の危険性は弟よりマシだが、セコムも念のためやっといた方が良いのかとちょっと考え中。
母は誰がどう見ても『猛毒母』って判断がつく人間だったと思う。
昔はそうではなかったらしいが、私と弟が生まれてからは性格が急変したんだそうな。
そんな母の性格を短くまとめると『天上天下唯我独尊』『異論反論反抗厳禁』『有象無象俺様解釈』。
この三つで全ての説明がつく。
とにかく如何なる理由があっても自分最優先。他はガン無視。
こっち(主に私)が何か自分の意見を言うと途端に大爆発して暴れまくり(無論殴られることはザラ)、最悪の場合家を飛び出して数日居なくなる。
父や祖父母(父の側の祖父母は亡くなっており、母方祖父母と暮らしてた)が何度も諌めようとしてくれたが、
「どうしてコイツ(私)の味方をする。教育のためなんだから私に味方しろ」と金切り声で叫んで更にヒートアップする有様。
父は何度も離婚を考えたらしいが、当時5歳と3歳だった私と弟の事が母に引き取られたらと思うと心配で踏み止まっていたらしい。
しかし、そんな父が離婚を決断する事件が母の日に発生した。
前置きしておくと、母は凄まじい(どころの騒ぎではない)メシマズ。
味付け・レシピ・調理方法…これら全てが俺様解釈。
なんてったって、お湯で溶かすだけの赤ん坊用のミルクに「身体にいいから」という理由で黒酢をお湯と同量入れるという恐ろしい事をやらかしたくらいだし。
それを嫌がって泣きだした当時赤ん坊だった弟と「こんな物赤ちゃんに飲ませちゃダメだ」という祖母にキレまくって母は数日間家出した。
なもんだから、私は母が作った料理を美味いと思ったことは一度もない。
そんな母でも母は母だから「母の日だから、母のために晩御飯を自分で作ろう」と思ってそれを祖父母に提案。
祖父母もそれに賛成してくれた。
慣れないけども祖母の助けを借りながら包丁を使って野菜を切り、ひき肉を混ぜてがんばってハンバーグを作った。
そして、完成からちょっと経ってから、パートから帰って来た母をリビングに誘導して「いつもありがとうお母さん」と言って母の日の初めてのプレゼントのハンバーグを見せた。
母の返答は「ありがとう」でも頭を撫でてくれるでもなく、鉄拳だった。
母の拳は私の右目の下あたりにクリーンヒットして、私は1メートルくらい吹っ飛ばされた。
「ふざけたマネをしやがって、私を馬鹿にしているのか、こんな事をして私を虚仮にして楽しいか」とそれまでの6年間の生涯で最大最凶レベルの大噴火を起こしながら暴れる母。
もっとも私は本気で殴られた顔面が痛くて泣き叫びながら悶絶しており、母の罵声怒声しか聞こえなかったが、それでも母のブチギレっぷりは今までの比じゃない事は理解できた。
祖父母も母の凶行に激怒して母を取り押さえようとするが、テーブルをひっくり返し、電気ポットを投げつけ、電話機を振り回す母は手に負えなかった。
そのまま母は「タヒんじまえ、お前らみんなくたばっちまえ」と絶叫して家を飛び出してった。
祖父は母の大暴走に怯えて泣き叫ぶ弟を落ち着かせようと、弟を抱きしめながら必タヒに背中を撫でていた。
祖母は泣きながら「ごめんね、痛かったろうね、もう大丈夫だからね」と言い、号泣する私の腫れあがった顔に氷水で冷やしたタオルを当ててくれた。
それから離婚騒動に発展するが、母は徹頭徹尾金の話しかしてなかったらしい。
親権はくれてやる。その代わり家と父の貯金は全てよこせ。それが母の主張だったらしい(これは祖父母が泣きながら話しているのを聞いた事で知った)。
で、母が私に振るった暴力の証拠とか家で暴れた記録とか詳細に残ってても女って有利なんだね。
結局父は親権と車以外ほとんど母に奪われた(親権に関しては母が「こんなガキは要らない」と言ったからだそうだが)。
祖父母が「慰謝料・養育費の代わり」ってことで自分達のポケットマネーからこっそりお金を出してくれて引っ越しをすることができたらしい。
それから父は男手一つでしっかり真面目に私と弟を育て上げてくれたため、私も弟もグレずに済んだ。
ちなみに祖父母は「母を監視し、色々な人に迷惑をかけさせないようにする」という目的で母と同居を続けることになった。
つい先日、「(元)母が、私か弟のどちらかを老後のアテにしようと嗅ぎ回ってるから最大限警戒してくれ」
って連絡が祖母から父にあったらしく、弟(父と同居)はセコム取り入れたらしい。
私はオートロックマンションだから襲撃の危険性は弟よりマシだが、セコムも念のためやっといた方が良いのかとちょっと考え中。