月. 11月 25th, 2024
68 :名無しさん@おーぷん 2015/12/07(月) 07:43:12 ID:I6Q
私はいわゆる独居老人にあたるらしい。
夫とタヒ別、息子二人はそれぞれ別に所帯を持っている。
息子家族とはほとんど交流は無い。

それは私が望んだ事。私はずっと一人暮らしをしたかった。

親は今風で言うと毒親で、親から逃げたくても、なかなか逃げられなかった。
「男の甲斐忄生」と言い放ち浮氣を繰り返す女癖の悪い父。
「お前(私)のため」と言って離婚せず、クドクド私に嫌味を言い続け、
言いがかりをつけては私を叩いた教師の母。
見栄っ張りの親のおかげで私は大学まで出してもらった。
卒業後、就職して自分でお金を稼げるのが嬉しくて楽しかった。
当時、女が入れる社員寮が会社にはなく、実家を出て暮らすのも親は許さないので、
実家で暮らしていた。

今はタヒ語となった結婚適齢期の終わり頃、結婚しないのは許さないと
親にわあわあ連日、喚かれ仕方ないので、見合いして結婚した。
相手は勤め先が良いだけが取り柄の軟弱男。
私は何にも自分の頭で考えていなかった。ただただ親の言うなりに生きていた。

結婚して子供が出来て、退職した。出産後、会社に戻れることは不可能だった。
男女雇用機会均等法なんかできる前の時代だから、そんなものだった。
舅姑は私をイビッたけれど、夫は何の頼りにもならず、
私はひたすら舅と姑のタヒを願った。
結婚して26年、最後に残った姑が亡くなった。

結婚生活はただ忙しいだけ。
インフルエンザで寝ていても、夫は医者には連れて行ってくれなかった。
「自分は仕事があるから無理だ」「タヒぬくらいなら自分(私)で救急車でも呼ぶだろう」と
夫は思っていたのだろう。私に対して悪意がある人ではなかった。気が付かないだけ。
ただただ、自分が妻の介抱をするなんてありえなかっただけだろうから、
夫を恨む気持ちもなかった。好意から「これを食べたらいいよ」と
高熱で寝ていた私の枕元にバラバラと一口チョコレートを置いて夫は出勤していった。
私は黙って色とりどりの一口チョコレートを見ていた。そして、這って台所に行き、
買ってあったポカリスエットを飲んだ。
今もコンビニに行くとレジの近くに置いてあるそのチョコレートとポカリスエットを見ると
結婚生活を思い出す。
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