月. 11月 25th, 2024

13 :修羅場な話 2019/10/07(月) 02:36:11 ID:mh.ps.L1
(フェイク入れてます)
小学生に入ったばかりの頃、担任の先生がやたら食にうるさい人だった
少しでも時間ができると食育が始まる
私たちは命を頂いているのだ、農家の方々が汗水垂らして作ってくださった食材を云々かんぬん…
話している内容は今思えばもっともなことなのだけど、小学校入りたての子どもにはとにかく退屈
でも先生は毎日毎日、過剰な食育を続けた

給食の時間は特に激しくて、配膳されたものは全て食べ終わるまで帰して貰えなかった
私は当時、食べる量は普通なのに食べるスピードが遅くて、時間内に食べきることができなかった
同じような生徒が他にも2人くらいいた
既に校庭で遊んだり帰ったりしている同級生を横目に、電気を消されて日陰で暗くなった教室で、先生に見張られながら給食を食べ続ける毎日

初めは居残り5分もあれば食べ切れる程度だったのに、日に日に食べ切るまでの時間が延びていく
食べようと思っても体が受け付けず、口いっぱいに含んで食べた振りをして、食べきった分も一緒にトイレでもどしたり
先生が見ていないうちに赤白帽の中に隠して、先生がいなくなってからトイレに捨てに行ったりするようになった
食べることが苦痛で、先生が怖くて仕方なかった

どれくらいそれが続いたのかはもう覚えていないけど、とうとう自宅でも食事がとれなくなった

小さい頃から鍋料理が好きだったんだけど、「〇〇の好きなお鍋だよ~」と母が持ってきた鍋の匂いがもう嫌で嫌で仕方ない
体もだるくて、床に横になりながら食べたくないと言ったら、割と食いしん坊なはずのわたしの言葉に両親はびっくり
何だか体がだるいという以外には、特に具合が悪いわけではないのにとにかく食べたくなかった
翌日も何も食べられなくて、心配した母は私を小児科につれていき、そこで摂食障碍?になっていたことが判明した
幼いながらに「自分は異常な状態なのだ」と診断されたのが分かって、ものすごい衝撃と悲しみに襲われた
入院が決まり、待合室で母に抱きつきながらワンワン泣いて、母も気づかなくてごめんねと泣いていたのを覚えている

担任の先生は、拒食症だったらしい
確かにガリガリで、顔色の悪い人だった

小学校の対応は素晴らしく、すぐに校長先生ともう1人女忄生の先生が来て、謝罪された
この女忄生の先生が、何の先生だったかは覚えてないけどとにかくいい人で、入院中も退院してからもしっかりサポートしてくれた
病室で隣のベッドになったおばあちゃんもすごく優しくて、周りの人に恵まれたおかげで経過は順調
すぐに、病院食が美味しくない!とゴネるほど元気になった

担任の先生は学校をクビになって、先生の免許も剥奪された?とかなんとかで、拒食症を治療するために入院したと聞いた

ずっと前のことなのに突然思い出して、あの居残り給食の感情がフラッシュバックして吐き出したかったので書き逃げ
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