月. 11月 25th, 2024


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166: 本当にあった怖い名無し 2013/12/08(日) 21:40:41.19 ID:LXuUmNFqI
田舎で家業継いで農機具の販売・メンテやってる。

お客には、同じ町内なのに、行くのに4時間近くかかるような山ん中に住んでるおじいちゃん、おばあちゃんもいて、修理に行ったら「泊まってがい」と言われ、そのまま泊まることもある。

そんなんだから、仲良くなって、いろんな話を聞かされるんだ。

人生の苦労話や、遠方に住んでるお孫さんの話で、たいして面白くもないけど、中にはそれまで聞いたことがないような話もあったよ。
そのおじいちゃんは、92歳でこないだ亡くなったけど、古流の免許皆伝の人で、空手やってた俺に、免状とか技術書とかいろいろ見せてくれたり、技を一通り見せてくれたりした。

俺もそれが面白くて、休みの日に酒持って遊びに行ったりして、技教えてもらった後に、総合のDVD見て、夜中まで格闘技談義したりして。

じいちゃんは、寝技中心の総合には否定的で

「立ってやんねば。来んの一人でねんだから」

って言ってた。

じいちゃんは戦争の時は大陸にいってて、昭和21年に復員してる。

実家は空襲で焼けて、家族も亡くなっていたじいちゃんは、仙台にあった武術の師範の家に居候して生活をはじめた。

じいちゃんから聞くと、戦後の日本は、地方都市に過ぎない仙台でさえ、治安は相当に悪かったらしい。浮浪者とかヤ〇ザとか引き揚げ者とかが原因じゃなく、
 
「赤や、赤」

とのこと。

それまでの体制がなくなって、旧体制側だった人は肩身が狭くなる一方、「中共やソ連」の支援を受けた「赤」関係の組織が勢いづき、個人で、組織で、旧体制側の人間を攻撃したらしい。

じいちゃんの師範は、戦後も戦前と変わらず地域の名士だったけど

「戦争には負けたが、日本の伝統・思想はなんら劣っていない」

って公言してたから、「赤」から脅迫やサツ害予告をしょっちゅう受けていて、若かったじいちゃんも気にしてた。

で、ついにコトが起きた。

夕方に、師範の家で、じいちゃんと師範と、師範の奥さんがいたときに、玄関の戸を叩き壊して8人の男が入ってきた。覆面して、棒切れ持った男が8人。

「8人はヤバいですよね?いきなりだし、相手やる気だし」

って聞いたよ。

ある程度事態を予想していたじいちゃんは前に出る。2人の棒切れを受けながら肘と親指を使った当身で倒す。

「奥さん守る。誰も通さね」

と思ってるじいちゃんの脇を何人かがすり抜ける。次の相手が棒切れを振りかぶってくるけど、自分の左腕が上がってこない。

「最初さ受けたときに折れてしまったのっしゃ」

じいちゃんは、踏み込んで、棒切れの根元で殴られながら、密着して秘中を攻める。

倒れた相手を踏み抜いたのと同時に振り返ると、師範と奥さんはうずくまっていて、3人に袋叩きにされてた。

師範も2人は倒したけど、奥さんをかばって、残り3人にめった打ちにされてた。

「あん時ぐれごしっぱらげたことなかったな」

話しながらもすごい剣幕だった。

じいちゃんは奥さんと師範を助けに割って入ったけど、左腕が折れてるのもあって、今度は自分が袋叩きにあう。

「棒切れ、鉄だったがらや、頭守ったら指が折れんだ」

じいちゃんは、今でも不自然に曲がっている指を見せながら言った。

それでも、じいちゃんが生きてここにいるのは、騒ぎを聞きつけて近所の人達が集まってきたからだ。襲撃犯は仲間を連れて逃げた。

怒り狂っているじいちゃんは、近所の人達に抑えられて、追いかけることができなかった。じいちゃんは8カ所の骨折。師範と奥さんはもっとひどかったけど、何とか命はとりとめた。

犯人は、普段から嫌がらせをしていた「赤」だったのは確実だった。けど、報復を怖れて誰も証言しなかった。近所の人も、「赤」を治療した病院の人も。

「仕方がねぇさ、そういう時代で、相手が相手だ。」

師範と奥さんは、退院後、報復を避けるために、かくまってくれる有力者を頼ってよそにいった。

じいちゃんも東京の建築現場で働いて、結婚して奥さんの実家に帰ってきたのは、50過ぎてからだったようだ。

「俺が帰ってきた時には、『赤』の連中の何人かは、ずいぶん行儀良くなってたな。まぁ、そいつらもみんなタヒんだけどな」

「戦争いったり、『赤』さやられたり、まぁ政治とか主義ってのは、ただおまんま食いてぇってだけの俺からしたらよ、よけいなもんだった」

って笑いながら話してました。

実際には名前が出てますが、さすがに伏せます。証拠もないですが、じいちゃんの話が本当なら、人って怖いなと、そう思いました。



177: 本当にあった怖い名無し 2013/12/08(日) 23:08:42.52 ID:/iTZLgw40
>>176
乙 
俺が爺さんから聞いた話も似たような感じだったよ、 
アカと三国人はやりたい放題だった@福岡


180: 本当にあった怖い名無し 2013/12/09(月) 02:54:53.28 ID:xIlfsnQ60
>>176 
うちも仙台で終戦を迎えた 
俺が子供の頃に一家で東京に移ったけど 
懐かしいな、その訛りw 

亡くなった祖母はGHQが怖かったと言ってたな 
うちは男が全員戦タヒして 
家には祖母と年頃の娘が3人残った(その末妹が俺の母親) 
一番上の娘がバタ臭い顔立ちの美人だったんで目をつけられて 
酔った米兵達が夜中によく押しかけて来たそうだ 
そのたびに薙刀の師範代だった祖母は竹槍を振り回して大暴れ 
とうとう「あの家にはクレイジーなババアがいる」と噂になって 
米兵が来なくなったと言っていた


181: 本当にあった怖い名無し 2013/12/09(月) 03:20:32.40 ID:LGDWRG890
>>176 
だけどさー、大正から戦後にかけて共産党迫害は凄まじかったんだよ 
(自分はノンポリだぞ、念のためw) 
政治活動とは無縁の温厚な教師なんかがバンバン憲兵につかまって 
人間がここまでするかっていう凄まじい拷問でコロされた 

東京より地方の方がやり方が原始的で残酷だったようだね 
見せしめ的な意味があったんだろうが、1ヶ月に及ぶ拷問で発狂させ、 
絶対に助からない化け物みたいな姿になったところで家に帰す 
そして、激痛にのたうちながら狂いタヒにする様を見せつけて 
その家の人間初めムラ中を震え上がらせたそうだ


182: 本当にあった怖い名無し 2013/12/09(月) 03:24:47.89 ID:NPXKF+Qq0
っていう都市伝説


183: 本当にあった怖い名無し 2013/12/09(月) 03:28:29.88 ID:QJ26zfsJ0
皮肉じゃなく 
こういう話を都市伝説だと言い切るいい時代になったな、と
引用元:http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1385773851/