木. 11月 21st, 2024
403 :名無しさん@おーぷん
自分の母親は物凄いヒステリーだった。
物の置き場所が1センチでもずれようものなら、火山の大噴火を起こすような短気さ。
何とか母親の笑顔が見たくて、褒められたくお手伝いや勉強を頑張ってみたけれど、
結果は「私の余計な手間を増やさないで!」「あてつけか!」と怒鳴りつけたり、教科書や参考書を「一体お前は何を勉強しているだん」と言いながらびりびりに破られた。
幸いな事に父はそんな母親に物凄く注意したり、私の精神的なフォローを家にいるときはしてくれた。
商社マンで忙しいのに、遠足のお弁当や早く帰宅出来た時は夕飯も作ってくれた。
父が遠方に出張で当分帰らない時は、絶望感で家に帰るのも嫌だし毎日泣いていた気もする。
防衛本能なのか今でも分からないけれど、中学生の頃には母親はタヒんだ。家にいるのはただのおばさんと思い込むようにした。
いつの間にか離婚していて、いつの間にか父との二人暮らしになっていた。
父は仕事もセーブしてくれて、なるべく一緒にいる時間を増やしてくれていたな。
とにかく私の中では今の今まで母親はタヒんだという事になっていた。
ところが、それから20年以上経ち、役所から連絡があった。
生活保護を申請したようだ。「お母さんに援助はできませんか?」と。
「え?あいつタヒんだはずだけれど?」そう返した後に、今まで封印していた記憶がぶわーとよみがえってなんとも嫌な気持ちになった。
今まで恨みも憎しみもなく、普通に父との二人暮らしのみの思い出だけが親との記憶だったのにだ。
最後に「こちらの連絡先は絶対伝えないでください。私の母はもうタヒんでいます」と役所の人間に伝えて電話を切った。
思い出してしまったけれども、やっぱり私の中では不要な人なのでもう一度タヒんでもらう事にする。
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