金. 11月 22nd, 2024
743 :鬼女タウン 2016/02/17(水) 02:12:26 ID:ThE
小学生の時にすごい病んでた話。やたら長いし延々自分語りなので注意。

4年生の時に転校、その後母が体調を崩し実家へ帰った。
私は一人っ子で、父親が帰ってくるのは私が寝たあと。
料理は教えてもらってたからある程度は出来たけど、分量も味付けも変なのしか出来なくて、あまりしなくなった。
毎日暇で暇で仕方なくて、犬の散歩か、家に届くカタログで遊んで暇つぶしをしていた。
(欲しいものを全部買うといくらになる、とか一番高くなるファッションはどの組み合わせか、とか)

父親が家にいる日曜日は、ショッピングセンターに行ってあれこれ買い物をした。
いつも買うのはパスタ、丼もののレトルト、山ほどのおかしやジュース。
父は私が何を買おうとしても怒らなくて、台所にはいつも私が好きなものがあった。
私は子供なりに父は仕事が忙しく、好きなものを好きなだけ買ってくれるのが私に対する罪滅しなんだろうと
理解していたので、買い物帰りには「好きなものを買ってくれてありがとう!私は幸せだよ!」とアピールしてた。

ホントは全然幸せじゃなかった。
転校したての学校には友達と言える人は一人もいなくて、いつも本ばかり読んでいた。
いじめられてるわけではなかったけど、完全に浮いた存在で、グループ分けの時には必ず溢れていた。
そのうち人と話すのが嫌になり、クラスメイトはみんな私を嫌っている、ここにいてごめんなさいと思うようになっていた。
でも学校に行かないと父親が問い詰めてくるし、学校に行かない子は駄目な子だと烙印を押されるように感じて、学校には通っていた。

母が実家に帰って1ヶ月ほど経った時、父に「お母さんは心の具合が良くないんだ」と知らされた。
後から知った話では、引っ越した先は母の実家の近くで、母の同級生やらがそこらじゅうにいる地域で、
学生時代にいい思い出がない母は、外に出ると自分の知り合いがいるんじゃないかと怖くなって、実家に戻ってしまったらしい。
当時はそこまで知らされずに、聞いても言葉を濁されてばかりで、私は「母の具合が良くないのは私のせいだ」と思った。
元々私と母はよく喧嘩をし、寝る時に謝って、さっきした言い争いをお互い忘れて一緒におやつを食べる、みたいな関係性だったんだけど、
私が何か文句を言うと、以前は言い返してきたのに、引っ越してからは過剰なまでに謝ってきて、そのことをずっと引きずったりしていた。
そんなことが何度かあってからの、母の実家帰りだったから、「私がお母さんに酷いことを言ったからだ」と思った。

この辺りで、私は「私はタヒんだほうがいいんじゃないんだろうか」と思い始めた。
私がいなくなれば、喧嘩する相手がいなくなるから母の具合も良くなるだろうし、
クラスメイトも私を嫌ってるから、いなくなってもなんとも思わないだろうと考えていた。
でも実際に自杀殳を試みたことはなかった。
手首を切ったらタヒねる、と聞いてペーパーナイフでうっすら切ってみたらすごく痛くてやめた。
屋根から飛び降りてもせいぜい骨折程度の高さしかないし、もしタヒにそこねてすごい痛い思いをしたら、と思うと行動に移すことは出来なかった。
一度、思い切って担任の先生に、今の生活が苦しいと相談してみたけど、
「あなたより恵まれない生活をしている人はたくさんいる、あなたの言っていることは贅沢だ」と遠まわしに言われ、人に相談することが怖くなった。
そのまま鬱々とした小学生生活を卒業まで過ごした。

進学して新しい友達が出来ると、部活やらで忙しくなって、一気に毎日が楽しくなった。
楽天的になり、嫌なことは嫌だと言えるようになって、それまで「母が嫌がっていたらどうしよう」と行ってなかった母実家にも、
てきとーにおやつを買って遊びに行くようになったら、そのうち母も明るさを取り戻してきて、中1の夏頃には家に帰ってきた。
そこからはまぁ楽しくそれなりに充実した人生を送ってきて今に至るけど、小学校の頃を思い出すとすごい精神状態だったな、と思う。
当時つけてた日記を久しぶりに読み返してみたら、読んでるだけで深淵に引きずり込まれるような怖さだった。
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