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279 :相続まとめちゃんねる 2014/02/25(火) 05:38:13 ID:TXo6FI+d
卒業式が近くなると思い出す思い出かいてく。
その1

小3の頃引っ越した。
新興住宅地で学校もできたばかり、周りは医者の息子やら社長の娘やらいわゆる金持ちが多かった。
そのせいか小学校では「塾に行くのが当たり前、中学は私立が当たり前」で、家が貧しく塾にもいかない、私立なんてもってのほかの私は常にクラスメイトの女子グループから見下されていたし、イジメられた。
両親共働きでママ友の会に出ない母は陰口を叩かれ、私はよく「あなたはお母さんに育児放棄されたのね」とか「捨て子のようね」と直に囁かれた。

そして中学生になり、私は当たり前に県立に通いだした。中学受験失敗した同級生と共に。中学校でも私が見下されることに変わりはなかった。
塾にも行ってないし勉強を他人と競った事がないから、私はずっと自分が馬鹿なんだと思ってた。
でも高校が近くに2箇所しかなく、片方は偏差値40のA校、もう片方は偏差値75のB校で、A校の生徒は地元でも悪名高かったので私はずっとB校の方にいきたかった。
勿論それを言ったら皆から馬鹿にされた。塾も行かないでそんな学校行けるわけ無いでしょと。
担任も同意見で、お金がないからと滑り止めの私立さえ受けない私に、3年間A校に行くよう説得してきた。そして私を見下してきた子たちをB校に進めた。
推薦を欲しいといったけれど、落ちるとわかっている子にはあげられないと言われ泣き明かした。通知表も不当に低くされた。それでも母は私を信じてくれて、「貴方なら受かる」ととても危ない橋を渡らせてくれた。
この判断が最悪の親不孝に繋がるんだけど、結果的に私はB校に受かった。小学校から塾に行って私を見下していた子たちは誰もいなかった。
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