215 :キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ- 2017/10/13(金) 23:23:49 ID:1vh
私は小中とずっとライバルの女の子がいた
仲が悪かったわけではなくて、好敵手
塾も同じで、お互い競い合ってた
小学生のころは成績が並んだんだけど、中学からは徐々に差ができてきて、どれだけ勉強しても中3の頃には圧倒的な差ができてた
偏差値で言うなら、彼女は75で私は68
私はどうしても70の壁が超えられなかった
遊びも部活もせず、睡眠時間も削って勉強し続けた
ガリ勉とクラスで馬鹿にされてイジメられても勉強だけは続けた
それでも成績は上がらなかった
そして中3の9月、過労で倒れた
内蔵が壊れてて、三ヶ月の入院
でもその間もずっと勉強してた
そのせいで病気の回復が思わしくなく、医者から注意を受けた
無視して勉強していると、母から衝撃の一言を言われた
「あなたは障碍があるから、彼女(好敵手)には勝てないし、追いつけもしないのよ」
私は昔から音の聞き分けが下手だった
集中してないと、人の会話と周りの雑音が混じって、声は聞こえても話しかけられていることすらわからなかった
例えて言うと、皆は外国人が英語やΦ國語を話しているとき、意味がわからなくてもそれが英語やΦ國語だとわかると思う
私は日本語を聞いて、それが日本語だと識別はできても、意味がわからない
集中することでやっとわかる
母が言うには、このせいで学習障碍があるんだと言われた
父が私の障碍を認めなくて、私はずっと知らされていなかったけど
どういう関連からわからないけど、文字での学習能力が壊滅らしい
文字を見て未知のことを理解しようとしても、できない(映像なら理解可能)
小中学生のころ、歴史の漫画を読まされ、やけに科学館等に連れて行っていろんな実験を見せてくれたのは、私は見ないと理解できなかったかららしい
私が勉強に遅れが出なかったのも、母の努力と一応地頭がよかったから?らしい
実際に高校に行った途端、特に科学と物理が皆目駄目になった
原子の働きや目に見えない力の働きを教科書の説明で理解することができなかった
できたのは公式を覚えて当てはめる計算問題だけ
授業終わりに何度も先生のところに行って説明してもらった
でも先生も言葉と文字の説明だから、理解できない
先生からは「頭の良し悪しじゃない、もうセンスが無いとしか言いようがない」と言われた
そこからが修羅場
ずっと母のお陰で学習障碍を意識してこなかったせいで、どうやって勉強したらいいのかまるでわからなかった
勉強が人生の大半を締めてたから(学生なら当然だけど)、自分の生き方も見失った
大げさな話、理解できない自分ってものを理解できなくて、思春期と相まって自分が自分じゃなくなったみたいな感覚
耳が悪いのが原因だから、英語のリスニングもボロボロだった
国語の試験も、説明文はまだ型にはめて解けたけど、随筆や物語は無理だった
センターが使い物にならないから、私学しか行けなかったが、英語のリスニングがボロボロなので、ギリギリF欄回避しかできなかった
好敵手の子は大阪の薬学部に進学してた
母からは「障碍があるから、ごめんね、ごめんね」と何度も謝られた
大学からはバイトを始めたけど、マニュアルは読めても未知の部分だけ頭に入ってこなかった
見本を見せてもらえたらわかったんだけど、常にマニュアル通りになるなんて保証もなく、常にマニュアル片手に細かく確認しながら体で覚えた
気づいたらご飯3日くらいたべてなくて、母に心配されて病院に行ったら、栄養失調と鬱になってた
大学はレベルが低いら卒業できたけど、医者からまず鬱の治療をするように言われて、就職できなかった
それから30の現在までずーっとフリーター
幸い税金と年金は払ってるので、辛うじて社会のゴミではない
中学の頃の私を知ってる人からは、どうしたのかととても心配される
幼い頃に学習障碍を自覚して訓練していれば、少しは屑度がマシになってたんだろうか
仲が悪かったわけではなくて、好敵手
塾も同じで、お互い競い合ってた
小学生のころは成績が並んだんだけど、中学からは徐々に差ができてきて、どれだけ勉強しても中3の頃には圧倒的な差ができてた
偏差値で言うなら、彼女は75で私は68
私はどうしても70の壁が超えられなかった
遊びも部活もせず、睡眠時間も削って勉強し続けた
ガリ勉とクラスで馬鹿にされてイジメられても勉強だけは続けた
それでも成績は上がらなかった
そして中3の9月、過労で倒れた
内蔵が壊れてて、三ヶ月の入院
でもその間もずっと勉強してた
そのせいで病気の回復が思わしくなく、医者から注意を受けた
無視して勉強していると、母から衝撃の一言を言われた
「あなたは障碍があるから、彼女(好敵手)には勝てないし、追いつけもしないのよ」
私は昔から音の聞き分けが下手だった
集中してないと、人の会話と周りの雑音が混じって、声は聞こえても話しかけられていることすらわからなかった
例えて言うと、皆は外国人が英語やΦ國語を話しているとき、意味がわからなくてもそれが英語やΦ國語だとわかると思う
私は日本語を聞いて、それが日本語だと識別はできても、意味がわからない
集中することでやっとわかる
母が言うには、このせいで学習障碍があるんだと言われた
父が私の障碍を認めなくて、私はずっと知らされていなかったけど
どういう関連からわからないけど、文字での学習能力が壊滅らしい
文字を見て未知のことを理解しようとしても、できない(映像なら理解可能)
小中学生のころ、歴史の漫画を読まされ、やけに科学館等に連れて行っていろんな実験を見せてくれたのは、私は見ないと理解できなかったかららしい
私が勉強に遅れが出なかったのも、母の努力と一応地頭がよかったから?らしい
実際に高校に行った途端、特に科学と物理が皆目駄目になった
原子の働きや目に見えない力の働きを教科書の説明で理解することができなかった
できたのは公式を覚えて当てはめる計算問題だけ
授業終わりに何度も先生のところに行って説明してもらった
でも先生も言葉と文字の説明だから、理解できない
先生からは「頭の良し悪しじゃない、もうセンスが無いとしか言いようがない」と言われた
そこからが修羅場
ずっと母のお陰で学習障碍を意識してこなかったせいで、どうやって勉強したらいいのかまるでわからなかった
勉強が人生の大半を締めてたから(学生なら当然だけど)、自分の生き方も見失った
大げさな話、理解できない自分ってものを理解できなくて、思春期と相まって自分が自分じゃなくなったみたいな感覚
耳が悪いのが原因だから、英語のリスニングもボロボロだった
国語の試験も、説明文はまだ型にはめて解けたけど、随筆や物語は無理だった
センターが使い物にならないから、私学しか行けなかったが、英語のリスニングがボロボロなので、ギリギリF欄回避しかできなかった
好敵手の子は大阪の薬学部に進学してた
母からは「障碍があるから、ごめんね、ごめんね」と何度も謝られた
大学からはバイトを始めたけど、マニュアルは読めても未知の部分だけ頭に入ってこなかった
見本を見せてもらえたらわかったんだけど、常にマニュアル通りになるなんて保証もなく、常にマニュアル片手に細かく確認しながら体で覚えた
気づいたらご飯3日くらいたべてなくて、母に心配されて病院に行ったら、栄養失調と鬱になってた
大学はレベルが低いら卒業できたけど、医者からまず鬱の治療をするように言われて、就職できなかった
それから30の現在までずーっとフリーター
幸い税金と年金は払ってるので、辛うじて社会のゴミではない
中学の頃の私を知ってる人からは、どうしたのかととても心配される
幼い頃に学習障碍を自覚して訓練していれば、少しは屑度がマシになってたんだろうか