金. 11月 22nd, 2024

97 :修羅場な話 2015/07/22(水) 17:52:37 ID:D7m
実の母親がフェ三思想の行き過ぎで、キチの領域に突入してる人だった。
自分の中だけで実践していればいいのに、娘である私に押し付けていた。
女児向けアニメや絵本は視聴禁止、女児向けおもちゃは購入禁止。
男児向けなら良いかと言うとそういう訳でも無く、
とにかく母の目に「忄生蒫別がある」と映ったものは何でも禁止だった。
服は地味な色合いのユニ乜ックスな物ばかり。スカートを買ってもらったことは一度もない。
髪型もショートからボブを強要。肩から下に伸ばすことは認められなかった。

私は、女の子らしいものが欲しくて仕方なかった。
周りの子みたいに、着せ替え人形やキラキラしたコンパクトで遊びたかった。
ヒラヒラしたスカートやピンクの服を着て、伸ばした髪にアクセサリーを飾りたかった。
幼稚園も小学校も私服通学だったから、否が応にも周りとの差は目についた。

中学受験をして、合格した学校は制服がある学校だった。
初めてスカートが履ける、気恥ずかしいような嬉しいようなくすぐったい気分で、制服が出来上がるのを待っていた。
届いた制服は、スカートでなくキュロットだった。
愕然とする私の前で、母は
「この学校はちゃんとしている。女子の制服をスカートに限定せず、こういう物も用意してある」
と満足気にしていた。
エスカレーター式の学校だったので、そのまま高校に進学。
高校の制服もキュロット。学校で私一人だけ。

大学生になって、バイトを始めた。
始めて貰ったバイト代で、スカートを買った。
今でも覚えている。小花柄で、ドレープを効かせた、膝上丈のスカート。
買って一か月もしないうちに、母に破り捨てられた。
「なんて浮付いた、非生産的な服」
「こんなものを履く女がいるから、いつまで経っても女は弱いままにされている」
「こんな馬鹿らしいものを買うためにバイトを許可したわけじゃない」
得意気に、憎々し気に喋る母に掴みかかった。そして、母を毆った。
「返して」と叫びながら、何度も、何度も。

その後、母は私に何かを強要することは無くなった。
スカートを履き、レースやフリルを身にまとい、メイクをし、髪を伸ばす私に
何か言いたそうな素振りを見せることはあったけど、
私が身じろぎをすると、慌てて口をつぐんだ。また毆られると思ったんだろう。
そのまま、ほとんど母と会話することなく就職し卒業した。
卒業と同時に家を出て、一度も帰っていないし母の声も聞いていない。
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