金. 11月 22nd, 2024
124 :殿堂 2014/09/13(土) 17:15:03 ID:mH9B3TgBS
私は第一子(息子・当時3歳)を20年前に亡くしてる。タヒ因は小児癌だった。
息子の父親である元旦那は病気と闘う息子を見放して捨てた糞野郎だった。
息子の病気が判明するまでは、可愛い可愛いとしつこいくらい構っていたくせに、癌とわかると「ふざけんなよ」と離婚届けを叩きつけて義実家に帰ってしまった。
義実家は口を揃えて「息子が癌になったのは、嫁の陰気なオーラのせい。いつもいつも俯きやがって。こんなんじゃ元気な子は育たない」と詰ってくる。
私が俯くのはお前らのせいだ。不必要に我が家に凸して不平不満を言い、散々食い散らかしてようやく帰る。
旦那は常に義実家の味方だった。それでも私は息子の為だと無理矢理笑顔を作って家事育児をこなしてきた。

元旦那は見舞いにすらこない。
来るのは私の両親だけ。両親は「離婚して戻っておいで。もう我慢しなくていい。息子ちゃんは私達で支えよう」と言ってくれた。
離婚の際、元旦那は提示した額よりも多めの慰謝料を寄越した。
「曲がりなりにもアレは俺の息子。せめてもの情けだ。多めにやったんだから絶対にこちらに関わってこないように」だって。

結局息子はタヒんでしまった。
私はぽっかり胸に穴が空いてしまって、鬱状態に。
息子が生きていたら買ってあげていただろう玩具やランドセルを揃え、仕事と自宅を行き来する生活を、息子が二十歳になる年まで続けてた。
そんな私を支えてくれたのが同い年の課長だった。彼は片足が義足の人。子供の頃に事故で両親兄弟、足を失った人だった。
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