月. 11月 25th, 2024
22 :殿堂 2020/12/26(土) 03:15:21 ID:Zq.sm.L1
昔、父の実家が本家で、祖父が当主で、正月には年末から親戚が20人くらいどっと泊まりに来て
元旦にはみんな盛装して当主からお屠蘇の盃をいただくってのをやってた
親戚は三が日泊まって夜昼なく宴会
その間の、おせち料理つくって正月用の食器出して、布団の用意して客間の掃除して
出入りの業者さんに正月のお菓子やお酒発注して、というあれこれは
「跡取りの嫁」である母一人でやっていた
親戚の女衆も手伝ってくれるけど仕切りは母だから
四日になってみんな帰ると寝込むレベルに疲れていた
なのに六日七日まで居座る親戚もいて
つき合って遊んでる祖父や父に、サツイさえわいた
ちなみに「当主の嫁」である祖母は体が弱く、私が物心ついた頃には寝たり起きたりの生活だった
祖母の世話は母がやっていた
だから正月は祖母+親戚の世話で疲れるんだ
私は私で、親戚が連れてくるガキどもの子守に追い回されていた
大みそかの夜に夜泣きする赤ん坊をおんぶして、除夜の鐘をきいたことは忘れられない

ところが私が中学2年の時、父は「本当に好きな人と家族になって新年を迎えたい」ということで
母と私は12月に入ったところで追い出された
父は不イ侖してて、相手が妊娠したのだ
もちろん慰謝料も養育費ももらったけど
私は、なんで父の家にこんなに尽くしていた母がこんな目に遭うんだとはらわたが煮えくり返った
でも母はあっけらかんと「(自分の実家に)帰ってもいろいろ面倒だから、この際、東京に出ちゃおうよ」
私びっくり「大丈夫!?」(田舎の中学生には、東京は外国レベル)
母「大丈夫大丈夫」(今考えると、大丈夫という根拠はなかったと思う)と、二人で東京に出てきた
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