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905 :殿堂 2013/02/08(金) 06:45:15 0
小学生の時に両親が離婚した。
父は仕事柄数か月に一回しか帰って来ない人だったこともあり
母が大好きで妹と一緒に、母に引き取って欲しいと両親に言った。
けれども母は妹だけ連れて家を出て行き、私は父方の祖父母に引き取られた。
小学校から帰ったら、家の中ががらーんとして母も妹も居なくて
泣きながら探したあの寂しさと恐怖は、いまだに夢に見るぐらいです。
夜になって父方の祖父が迎えに来てくれるまで、数時間電気もつけずに
暗い中じっとしていました。
その後中学生の頃父が再婚するに当たり、私が邪魔だったらしく
子供の居ない親戚に養子に出されました。
ここでは家業のために跡取りが欲しく、本当は女でなく男が欲しかったので
家族として扱われることはなく、衣食住だけ与えられて飼われているという状態。
それでも商業科しか認めないと言われたが、高校に進学させてくれたのは
感謝している。
私が高校生の頃㲗児の男の子を施設から引き取ることが決まり
私は用無しになったので、高校卒業したら独立してくれと養子縁組を解消された。
就職したら家に全額給与は入れるように養母に言われていたりしたので
養子縁組解除されて、高校の卒業式の翌日にアパートに追い出された。
これで人の目を気にしながら、ご飯を食べる必要もなく
生理用品を生理が重くて数を使うと、布を使えとぼろ布を投げつけらるような
事も無くなるんだとものすごくうれしかった
それでもアパートの敷金礼金と二か月分の家賃は、元養父への借金で
安い給与の中から返済するために、毎日パンの耳で暮らしました。
家財道具は何もなかったので、調理用品も買いそろえるのに時間がかかり
最初はパンの耳しか食べられなかったのです。
勤め先は大きい工場で、お昼は安い社食があり、制服もあったので
制服下の服は、下着と上着三枚を回し毎日お風呂で手洗いしてました。
みじめな生活かもしれませんが、養母のあら捜しの目が付いて回らない
自由の生活はものすごくのびのびでき、母と妹と暮らした日々の次に
楽しいと思っていました。
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