698 :キチママ警報 -キチママ・生活系まとめ- 2017/01/04(水) 15:11:35 ID:mnM
母親がやったことだけど。
叩かれるかも…というところがあるかもしれません。
ドがつく田舎の小学校に通っていた時に、些細な理由でいじめられてた。
一年生の頃から「チャックの筆入れを使ってるから」など本当にしょうもない事でターゲットにされ
女の子グループで固まって、無視や陰口、たまに上履きの中に画鋲を入れられたりした。
㬥カがないだけましだったのかもしれないけど、人数の少ない学校だったからかなりつらかった。
親や先生に相談して、形だけの話し合いの場が持たれたことは何度もあったが、
喉元すぎれば…ですぐに再発。しかも内容がさらに陰湿になる。どうしたって無駄だと悟った。
四年生になった頃、とにかく同じ中学に行きたくなくて、他の市の中学に行くために受験勉強を始めた。
地元から離れた塾に通いだし、勉強で忙しくなると、学校でのいじめがあまり気にならなくなってきて
何をされてもスルーし、男の子と遊ぶようになった。(男子は女子の事には関せずの立場だった)
私が好き勝手するようになると、いじめられたくなくてグループに属してた気の弱い女の子たちが
一人、また一人と徐々に私と男の子のグループに混ざってくるように。
いじめられた事を許したわけではなかったけど、いじめっ子側に回るのは嫌だったので一緒に遊んだ。
気が付けばほとんどの女の子は私や男の子たちと遊ぶようになっており、ボスとその取り巻きたちはポツン。
ボスたちをいじめ返そうと私を煽る子もいたけど、私のやる気がないことを悟ると何も言ってこなくなった。
一方の受験勉強の方は、見返してやる!という意気込みが功を奏したのか、思いのほか学力が伸びて
県内で一、二を争うくらいの国立中学校に合格することができた。(これにはいじめっ子たちに感謝している)
いじめもなくなったし、良い中学に進学できるし、友人もたくさんいるしで、
私の中でいじめの件はもう片が付いたことというか、過去の事という扱いになっていたのだけど
ずっと娘がいじめられている様を見ていることしかできなかった母は、一矢を報いたかったんだと思う。
受験勉強が大変だった私の代わりに、卒業文集に載せる作文を母が代筆してくれたんだけど
その内容が「いじめっ子に屈することなく、いじめられていた私と一緒にいてくれた友人たちに感謝しています」というもの。
事実をかなりドラマチックかつ感動的にアレンジし、さらにいじめっ子を糾弾するようなことは一切書かなかったため、
書いた(と思われている)私や、友人たちは非の打ち所のないとても良い子に見えるという仕様になっていた。
この作文は、同級生のお母さんたちだけでなく、中学で一緒になる他校の生徒の親たちの間でも「感動する作文だ」と話題になったらしく
私ちゃん可哀想→いじめっ子って誰?…という流れに自然となり、中学へ行ってもいじめっ子たちは白眼視されポツンのままだったとか。
一方いじめられっ子だった私は、母のおかげで「いじめ返さない、友人に感謝できる良い子」と株を爆上げ。
父がその地域で開業医をしていたため表立った復讐ができなかったが故の、母の賢い仕返しでした。
叩かれるかも…というところがあるかもしれません。
ドがつく田舎の小学校に通っていた時に、些細な理由でいじめられてた。
一年生の頃から「チャックの筆入れを使ってるから」など本当にしょうもない事でターゲットにされ
女の子グループで固まって、無視や陰口、たまに上履きの中に画鋲を入れられたりした。
㬥カがないだけましだったのかもしれないけど、人数の少ない学校だったからかなりつらかった。
親や先生に相談して、形だけの話し合いの場が持たれたことは何度もあったが、
喉元すぎれば…ですぐに再発。しかも内容がさらに陰湿になる。どうしたって無駄だと悟った。
四年生になった頃、とにかく同じ中学に行きたくなくて、他の市の中学に行くために受験勉強を始めた。
地元から離れた塾に通いだし、勉強で忙しくなると、学校でのいじめがあまり気にならなくなってきて
何をされてもスルーし、男の子と遊ぶようになった。(男子は女子の事には関せずの立場だった)
私が好き勝手するようになると、いじめられたくなくてグループに属してた気の弱い女の子たちが
一人、また一人と徐々に私と男の子のグループに混ざってくるように。
いじめられた事を許したわけではなかったけど、いじめっ子側に回るのは嫌だったので一緒に遊んだ。
気が付けばほとんどの女の子は私や男の子たちと遊ぶようになっており、ボスとその取り巻きたちはポツン。
ボスたちをいじめ返そうと私を煽る子もいたけど、私のやる気がないことを悟ると何も言ってこなくなった。
一方の受験勉強の方は、見返してやる!という意気込みが功を奏したのか、思いのほか学力が伸びて
県内で一、二を争うくらいの国立中学校に合格することができた。(これにはいじめっ子たちに感謝している)
いじめもなくなったし、良い中学に進学できるし、友人もたくさんいるしで、
私の中でいじめの件はもう片が付いたことというか、過去の事という扱いになっていたのだけど
ずっと娘がいじめられている様を見ていることしかできなかった母は、一矢を報いたかったんだと思う。
受験勉強が大変だった私の代わりに、卒業文集に載せる作文を母が代筆してくれたんだけど
その内容が「いじめっ子に屈することなく、いじめられていた私と一緒にいてくれた友人たちに感謝しています」というもの。
事実をかなりドラマチックかつ感動的にアレンジし、さらにいじめっ子を糾弾するようなことは一切書かなかったため、
書いた(と思われている)私や、友人たちは非の打ち所のないとても良い子に見えるという仕様になっていた。
この作文は、同級生のお母さんたちだけでなく、中学で一緒になる他校の生徒の親たちの間でも「感動する作文だ」と話題になったらしく
私ちゃん可哀想→いじめっ子って誰?…という流れに自然となり、中学へ行ってもいじめっ子たちは白眼視されポツンのままだったとか。
一方いじめられっ子だった私は、母のおかげで「いじめ返さない、友人に感謝できる良い子」と株を爆上げ。
父がその地域で開業医をしていたため表立った復讐ができなかったが故の、母の賢い仕返しでした。