日. 11月 24th, 2024

870: 名無しさん@おーぷん 21/03/02(火)21:51:00 ID:rg.qt.L1
随分前、うちの会社のとある部署だけが
とんでもないブラックだったのを知った時。
私は人事をやってたんだけど、とある部署の女忄生から
「食事取らせてもらえない」
「夜の10時に帰ろうとしたら怒鳴られた」
「みんな寝袋を持ってきていて、
 家に帰れるだけ感謝しろと怒鳴られる、聞いていた話と違う」
などと相談された。

でも勤怠管理システム上は
みんな定時上がりとされていたので気づかなかったし、
面接でも「この部署は特にちゃんとしていますよ」と説明してしまっていた。
すごく困って人事部長に相談したが、
「あそこは万年人手不足だ。仕方ない、聞かなかったことにしよう」
「そこまでやってくれている人たちに注意はできない」
とのこと。そこで、
「自分で早く帰って下さい。頑張って空気を変えてください」
としか言えなかった。本来ならこういうのを正すのも
人事の仕事なんだろうがしなかった。
私は定時上がりなので申し訳ない気持ちもあった。

その後も何度も相談があり、
「休みがありません、もう60連勤なんです」
「休みについては管轄外です。上司の方にご相談願います」
「家にも帰れなくなりました」
「頑張ってご自身で帰ってください。
 そうすれば空気も変わるはずです」
ととにかく誤魔化した。
こちらの責任にされても困るので、都度都度部長に報告していたし、
「私ではなく部長のご判断です」と毎度付け加えた。
最初は
「クレーマー気質なのを採用しちゃったなあ」と
顔をしかめていた部長だったが、しばらくして
「流石に過労タヒが出たらまずい」との判断で、
その部署への新卒採用もバンバン行うことにした。
中途採用だと逃げ出しそうなのでやめた。
とはいえ並の学生ならまだ逃げ出しそうなので、
逃げ場があまりなさそうな、
地方から上京している新卒や、片親育ちの貧乏新卒を喜んで採用した。

その後も例の女忄生からはずっと相談されていた。
女忄生
「新卒が来てさらに教育もしなければならず、
 もう3日帰れていない。寝袋で寝ている。
 辛い、休職したい、体が限界、助けてください」

「期限を定めない休職は社則で認められていません。
 頑張ってください。応援しています」
この時も(まずいなーヤバいなー)と思いながら返事していた。
その後、女忄生が気を失って職場で倒れた。
流石にお金が出ないのは可哀想だと思い、
その時も勤怠システム上では女忄生は出勤しているように見せるよう、
指示を出した。そこの責任者は
「あのクソアマに金を出すのか」とブチブチ言うので
「お気持ちはわかります、耐えてください」と宥めた。
ようやく人事部長と私が女忄生と話し合い、
うちと合わないのでは?そもそもあなたに来てほしいとは言ってなくて、
あなたがうちに来たいというからとっただけだよ。
嫌なら辞めていいよ、と退職を促したが女忄生は拒否。

その後、女忄生から私と人事部長すっ飛ばして
副社長にSOSメールをされてしまい、事の次第が全てバレた。
副社長も残業バンザイな人なので
どうせ大丈夫だとたかをくくってたが、
流石に女忄生が風呂も入れず3日連続泊まり込みはおかしいだろ、と怒られた。
その女忄生だけは特例で、終電で帰すように指示した。

それ以降他の新卒たちからも「体が限界」との訴えが続出し、
会社の転職サイトの口コミも最低になってしまった。
その都度消したり箝口令を敷いたりした。
なのでなんとか外への悪評は抑えられてはいたものの、
せっかく採用した新卒も一年も持たず9割近くが辞めてしまった。
引き止めの際、新卒に話を聞いたが、
「例の女忄生だけ早く帰れてずるい」とのことで、
特別扱いしなきゃよかったと少し後悔。

ただ、社長も
「たまたまガッツがないのを採用したんだな」
「次はもっと長続きさせろ」だけでうちにはお咎め無しだった。

で、そこの部署の責任者が定年退職を迎え、
他の責任者が就任した途端、
人事部への相談がパタッと止んだ。
例の女忄生に聞いてみると、
最初は大変だったが徐々に体制が整い、
本当に定時で上がってるらしい。
寝袋も要らなくなったと報告があった。

悪いことだとわかってはいた。
寝袋の話も酷いと思ったが、何もしなかった。
それどころか、
女忄生から相談され続けた数年はずっと
(女忄生がタヒんだら私のせいになる)
(タヒぬなら私の辞めたあとにしてくれ)と
毎日祈るような最低なことをした。
特別扱いしたことも、
当時は「あーあ、交通事故とかでタヒんでくれたら楽なのに!」
と本気で思っていた。

今はもう辞めたが、辞めるときも女忄生からは
「ありがとうございました」と御礼メールが来ていた。
次の会社はホワイトで、
そこでようやく罪悪感がどっと湧き出て、
「私のしたことは酷かったんだな」と認識した。
その後女忄生がどうなったかは知らないが、
元気でやっていて欲しいなとは思うし、
あの時は申し訳なかったと思う。
続きを読む