32: 名無しさん@おーぷん 21/02/26(金)04:50:49 ID:Zj.ow.L1
私は3人兄弟の真ん中。(兄/私/弟)
両親の離婚後、私は父方へ。兄弟は母方で育った。
当初は交流はしていたが、高校、大学、社会人となると交流も減っていった。
特に私は日本での大学卒業後、海外に進学/就職したので、10年近く父母のみとの交流が主で、兄弟とはぽっかり音信不通だった。
帰国後、兄弟に責められた。
10年の間連絡しなかった事にお前は情がない自分勝手だと。
海外に渡り、語学から文化からその土地で生きる事から余裕が無かった事はあるが、兄弟に連絡をしなかった事は事実なので、素直に謝った。
日本に帰国後、海外組が日本で生きる生き辛さを知った。
日本では海外で実績があっても日本での実績がないので完全にO(ゼロ)からのスタートだった。
日本での実績のある年若の下で真面目に働いた。
その隙間に兄弟に季節毎の連絡や贈り物をした。産まれた子供のお祝いなんかも。
でも返信が帰ってくる事は無かった。
メールを送っても、手紙を送っても、贈り物を送っても、返信やありがとうどころか「見たよ」「届いたよ」のアクションが無い。
その中で父が亡くなった。心筋梗塞だった。
私は凄まじいショックで失語症に近い状態になった。
でも兄弟は淡々と私を締め出して実家の家探しと遺産の計算。
母に至っては葬式で来訪者に向かって「タヒんでくれてせいせいしたわ」と談笑。
その一連の出来事が許せなくて、私は1人母達から距離を置き、疎遠だった父方の親戚を一人一人訪ねた。父のタヒを悼んでくれる人が欲しくて。
探す内にポツリポツリと見つかって、皆さんが私を迎え入れてくれて「従兄弟」や「甥」「大甥」にあたる父のタヒを悼んでくれた。
それから7年。今でも父方親戚とはいい関係で繋がりを保っている。
しかし母や兄弟は何かと私に絡み、距離を置けば娘と交流を持ちたい母親や兄弟の気持ちを蔑ろにしていると叱責された。
でも私にはなんの情報もない中で母は再婚し、兄は父の遺産で一軒家を購入し、弟は第二子を授かって「3人家族」でお祝い/お披露目パーティをしていた。
だから私は終わろうと思う。
父は亡くなってしまったけど、父方叔母や叔父は何かと気にかけてくれる。
「お前はうちの娘なんやから、早く安心させてくれや」と愛のこもった小言をくれる。
私は大丈夫。アジの干物が一番美味いと言った父と、アジの干物送ったからなと言ってくれる人達がいるから、私は大丈夫。
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