112 :修羅場な話 2019/12/18(水) 01:49:48 ID:hP.7q.L1
中学の時、学年全員で障碍者とその家族の講演を聞いたが内容が胸糞だった。
健常者として生まれた康(やすし)さんは事故に遭って肢体不自由と知的障碍含む障碍が残ってしまった。
両親は「私達がタヒんだらこの子はどうなるの」と思い康さんのために弟を作った。
康さんの弟には「康を介助してくれる子になってほしい」という願いから「康介(こうすけ)」と命名。
両親は康介さんに「あなたがお兄ちゃんの面倒を見るのよ」「ママとパパがタヒんだら康介ちゃんがいるから安心ね」と言って育てた。
そのお陰で、康介さんはかなり小さい時からお兄ちゃんのお世話をして頑張ってくれた、
幼稚園のお泊まり保育も「お兄ちゃんが寂しがったらいけないから」と自主的に休んでくれた、
康介さんには彼女もできたが彼女が康さんの介護を嫌がるからすぐ別れてしまった、康介がいるから康を任せて夫婦で出かけることができるなどのエピソードを微笑ましいテンションで語っていて怖かった。
講演には両親の他、ベッドみたいな特殊な車椅子に乗って何も言わない康さん、康介さんも来ていて、
康介さんも
「僕には普通の子と違って友達と遊んだ経験はありませんが、僕には兄を世話するという特別な役割があるので友達と遊びたいなんて思ったことは一度もありません。」
「僕は将来、奥さんと子供達みんなで兄を介護していきたい」
「新婚旅行で奥さんと2人で兄の車椅子を押しながら沖縄に行くことが夢です!」と瞳を輝かせながら語っていた。
康介さんは当時高校生で1年生だったと思う。
(制服姿で来ていた)
まだ結婚もしていない当時中学生だった彼女さんに兄の介護をさせようとしたのか?とものすごいモヤモヤした。
しかも、康さんの上には「健」という息子さんもいるらしく、「健には健の人生があるのだから普通の子供らしく康のことは気にせずのびのびと成長してほしい」
「康には康介がいるから健は友達と遊んだり、勉強したり、彼女とデートしたり、遠方の大学で充実した生活を送ることができる。」と言っていたことから長男には全く康さんの介護はさせていないと思われる。
もちろん。これらの名前はフェイクなのだが、長男と次男の名前を合わせると良い意味の熟語になることと、障碍がある次男のために作られた三男が次男の名前に「介」という文字を足した名前になるのは事実。
先生方の中にも講演の後に両親を批判している人が何人かいたのを覚えている。
学年主任だけは「感動した」とその後何ヶ月もことあるごとに康さん家族の話をしてきてみんながうんざりしていた。
健常者として生まれた康(やすし)さんは事故に遭って肢体不自由と知的障碍含む障碍が残ってしまった。
両親は「私達がタヒんだらこの子はどうなるの」と思い康さんのために弟を作った。
康さんの弟には「康を介助してくれる子になってほしい」という願いから「康介(こうすけ)」と命名。
両親は康介さんに「あなたがお兄ちゃんの面倒を見るのよ」「ママとパパがタヒんだら康介ちゃんがいるから安心ね」と言って育てた。
そのお陰で、康介さんはかなり小さい時からお兄ちゃんのお世話をして頑張ってくれた、
幼稚園のお泊まり保育も「お兄ちゃんが寂しがったらいけないから」と自主的に休んでくれた、
康介さんには彼女もできたが彼女が康さんの介護を嫌がるからすぐ別れてしまった、康介がいるから康を任せて夫婦で出かけることができるなどのエピソードを微笑ましいテンションで語っていて怖かった。
講演には両親の他、ベッドみたいな特殊な車椅子に乗って何も言わない康さん、康介さんも来ていて、
康介さんも
「僕には普通の子と違って友達と遊んだ経験はありませんが、僕には兄を世話するという特別な役割があるので友達と遊びたいなんて思ったことは一度もありません。」
「僕は将来、奥さんと子供達みんなで兄を介護していきたい」
「新婚旅行で奥さんと2人で兄の車椅子を押しながら沖縄に行くことが夢です!」と瞳を輝かせながら語っていた。
康介さんは当時高校生で1年生だったと思う。
(制服姿で来ていた)
まだ結婚もしていない当時中学生だった彼女さんに兄の介護をさせようとしたのか?とものすごいモヤモヤした。
しかも、康さんの上には「健」という息子さんもいるらしく、「健には健の人生があるのだから普通の子供らしく康のことは気にせずのびのびと成長してほしい」
「康には康介がいるから健は友達と遊んだり、勉強したり、彼女とデートしたり、遠方の大学で充実した生活を送ることができる。」と言っていたことから長男には全く康さんの介護はさせていないと思われる。
もちろん。これらの名前はフェイクなのだが、長男と次男の名前を合わせると良い意味の熟語になることと、障碍がある次男のために作られた三男が次男の名前に「介」という文字を足した名前になるのは事実。
先生方の中にも講演の後に両親を批判している人が何人かいたのを覚えている。
学年主任だけは「感動した」とその後何ヶ月もことあるごとに康さん家族の話をしてきてみんながうんざりしていた。