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771 :きまぐれ鬼女 2016/12/12(月) 03:15:51 ID:7Nm
旦那には10才年上の兄がいて、旦那の実家で同居してた。旦那家の跡取り。
私と旦那がお付き合いしだす前からその環境で、旦那は兄の結婚と同時に家を出た。
私は長女なので旦那に婿入りしてもらった。
そのとき私は病院で働いてた。

結婚して一年とちょっとしたころ、義母がコンクリートの階段から転げ落ちたらしくて入院。
足の骨が骨折、聞き手の左腕粉砕骨折、右手首骨折、頭もぱっくり割れてと重症で、手術もして金具で骨を止めた。
リハビリをする必要があるからと転院をすることになったんだけど、なかなか受け入れ先が見つからなくて、義兄嫁さんから私の働いてる病院で面倒見られないかと頭を下げてきた。
旦那の母親だしと仕方なく病院に頼み込んで受け入れてもらった。
旦那の親とは言え、片手で数えるほどしか会ったことのない人だから、病院と義母両方に気を使って板挟みで辛かった。
そして私の働く病院に転院させてから、義兄も義兄嫁も何もしなくなった。
私と旦那は同居してたわけでも、まして名字さえ違うから手続きがとても複雑になって大変だったのに、義兄たちは何一つしてくれなかった。
どころか一月もすれば見舞いにも来なくなった。
職場だから毎日顔を見に行くんだけど、義母は私を見る度「早く家に帰りたい」と泣きつき、でも義兄に伝えると義兄嫁から「無理」とかえってきた。
確かに車椅子必須になった義母の面倒を見るのは大変なのはわかる。
でも家は義母のものだし、要介護の認定もおりてるから、ヘルパーを雇って帰る権利もあると思うのに、リフォームすら拒否していた。
介護認定も私が役所に行って手続したんだけど、義兄たちからは「余計なことをして」と遠回しに言われてた。
私の働く病院は隣に施設も併設されてるので最終的に義母をそちらにうつすことになったんだけど、
家に帰れないと知ってか、義母はスト乚スからか斑ボケのようになってしまって、私は立場的に余計苦しくなってしまった。
しかも義母、ボケてから我儘が酷くなって、私のことをずっと罵倒し、骨のつかない手で㬥カもふるっては悪化させてた。
周りからも名字の違う義母の面倒を押し付けられてるのを冷ややかな目で見られてた。
義母みたいな入居者はすごく嫌われるんだよね。

それからしばらくすると、義母は頻繁に高熱を出したりするようになり、怪我の部位が腫れ上がって動けなくなり、寝たきりになったらあっという間に弱ってしまった。
いくつか原因がわかってたけど、治療しようにも麻酔に体が耐えられる状況ではなく、しばらくは頑張ったけれど旅立たれた。
終わったとき、正直ほっとした。
悲しみにくれる旦那に私の両親は激怒してたけどね・・・。ほぼ私一人で義母みてたようなものだから。

義母が亡くなってまだお葬式も終わってなかったのに、義兄から「俺たちはずっと同居してた。面倒を見てたのは俺たちだから遺産は俺たちに譲ってお前は遠慮してくれ」と旦那に打診があった。
旦那はそれを鳩のように「こう言ってるし、遺産放棄でいいかな?楺めたくないし」と言ってきた。
私は病院の請求書と離婚届を旦那に渡した。
もう何もかもが嫌になって、葬式のときに旦那も義兄も義兄嫁も纏めて八つ裂きにして杀殳してやろうかとも思ってた。
でも実の親が止めてくれた。
離婚を決意するまで待っててくれたみたいで、私を迎えに来て旦那から引き離して実家に連れ戻してくれた。
自覚がなかったけど、鬱病になってた。
母につれられて弁護士事務所に行き、必要な書類を職場から取り寄せ、旦那と義兄宛に書類を送った。
あとは弁護士に任せて私は鬱の治療をしてる。
躁と鬱を繰り返してるから、自分のこともままならない。
私も傍から見たら斑ボケだった義母のようなんだろうな。

きちんと読み直したんですが、文脈でわかりにくいところがあったらすみません。
鬱になってから文章を書くというのが酷く難しくなってしまって、理路整然としたつもりですが、読みにくくても堪忍してください。
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