505 :ぽめぷー速報 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2016/03/18(金) 21:14:18 ID:SOB
ひと区切りがついたので、ちょっと吐き出し。
舅と姑のこと。
夫の両親に初めて会った時は、どちらかというと男尊女卑的な夫婦関係の私の両親とは
全く違う雰囲気の、仲睦まじく対等な夫婦関係のカップルで、理想的だなと思った。
舅が2歳下の姑に猛アタックして射止めた恋愛結婚だと聞いて
ますます良いな、私たちもこうなりたいなと思った。
ところが、両家の打ち合わせなどの段取りを決めるために何度目かに訪問した時
舅から衝撃的なことを聞かされた。
・夫は舅の子ではなく、姑が不イ侖して妊娠した、いわゆる托卵の子であること
・舅は姑を許し、夫を我が子として育ててきた。愛情に変わりなくこれからもそのつもりであること。
・こういう経過から、夫側は両家の親族とは疎遠で参列者も少なくなることをご容赦願いたい
というものだった。文に書くと立派な舅だけど、この時、実は夫も初耳で
大きくショックを受け、式の延期を考えるくらい落ち込んでいた。
普通は、夫婦にいきなりじゃなくまず実子に話すものだと思うけどね。
そういうこともあって、特に疎遠にしたわけではないけど、
私たちと義実家とは精神的な壁ができてしまった。
結婚1年余り後、私が妊娠中に姑が急病で入院。夫が義実家に通った。
ずっと後になって、自杀殳未遂だったと知らされた。
妊婦に負担をかけるな、と義伯母(姑の姉)から口止めされていたらしい。
その後、何も知らなかった私が訪問した時には、また仲睦まじい夫婦になっていた。
私たちや子供達のことも、折節の訪問とか贈答はあったけれど、基本的にふたりの人生を
楽しんでいるようで、ほどよく不干渉な感じだった。
それから10年余り経ち、舅に進行ガンが見つかった。
手術に抗がん剤、放射線といろいろな治療をして、舅は入退院を繰り返した。
その間、姑はつきっきりだった。
私たちが見舞うと、姑は舅を気遣い「お父さんはこんなところで終わってはいけない」と
必タヒで世話していた。舅がいない時に舅の苦しみを慮って泣いていたこともあった。
舅も、姑がいないところでも姑への感謝の言葉がくり返し出てきて、
「母さんと一緒にどこそこに行きたい、もっとふたりの人生を楽しむんだ」と言っていた。
しかし、甲斐無く舅は70前で亡くなった。姑は「どうして」とくり返し泣きはらしていた。
余りにも落ち込みがひどいので、極端に言えば後追いも心配され、一人にしておけないと
いうことになった。でも唯一の実子世帯の私たちは、子供が難しい年頃で
姑が落ち着ける場所もなかったので、大きな姑実家を継いでいる義伯母のところに引き取られた。
しかし、そこも居心地があまり良くなかったのと、
まだ60代なのに軽い認知症の気配もしてきたため、
姑自身の希望で、舅の遺産と義実家を処分したお金で、今後介護が必要になっても対応できる
遠方の上等な有料老人ホームに入ることが決まった。
無事に引越しが終わったのが先日。
舅と姑のこと。
夫の両親に初めて会った時は、どちらかというと男尊女卑的な夫婦関係の私の両親とは
全く違う雰囲気の、仲睦まじく対等な夫婦関係のカップルで、理想的だなと思った。
舅が2歳下の姑に猛アタックして射止めた恋愛結婚だと聞いて
ますます良いな、私たちもこうなりたいなと思った。
ところが、両家の打ち合わせなどの段取りを決めるために何度目かに訪問した時
舅から衝撃的なことを聞かされた。
・夫は舅の子ではなく、姑が不イ侖して妊娠した、いわゆる托卵の子であること
・舅は姑を許し、夫を我が子として育ててきた。愛情に変わりなくこれからもそのつもりであること。
・こういう経過から、夫側は両家の親族とは疎遠で参列者も少なくなることをご容赦願いたい
というものだった。文に書くと立派な舅だけど、この時、実は夫も初耳で
大きくショックを受け、式の延期を考えるくらい落ち込んでいた。
普通は、夫婦にいきなりじゃなくまず実子に話すものだと思うけどね。
そういうこともあって、特に疎遠にしたわけではないけど、
私たちと義実家とは精神的な壁ができてしまった。
結婚1年余り後、私が妊娠中に姑が急病で入院。夫が義実家に通った。
ずっと後になって、自杀殳未遂だったと知らされた。
妊婦に負担をかけるな、と義伯母(姑の姉)から口止めされていたらしい。
その後、何も知らなかった私が訪問した時には、また仲睦まじい夫婦になっていた。
私たちや子供達のことも、折節の訪問とか贈答はあったけれど、基本的にふたりの人生を
楽しんでいるようで、ほどよく不干渉な感じだった。
それから10年余り経ち、舅に進行ガンが見つかった。
手術に抗がん剤、放射線といろいろな治療をして、舅は入退院を繰り返した。
その間、姑はつきっきりだった。
私たちが見舞うと、姑は舅を気遣い「お父さんはこんなところで終わってはいけない」と
必タヒで世話していた。舅がいない時に舅の苦しみを慮って泣いていたこともあった。
舅も、姑がいないところでも姑への感謝の言葉がくり返し出てきて、
「母さんと一緒にどこそこに行きたい、もっとふたりの人生を楽しむんだ」と言っていた。
しかし、甲斐無く舅は70前で亡くなった。姑は「どうして」とくり返し泣きはらしていた。
余りにも落ち込みがひどいので、極端に言えば後追いも心配され、一人にしておけないと
いうことになった。でも唯一の実子世帯の私たちは、子供が難しい年頃で
姑が落ち着ける場所もなかったので、大きな姑実家を継いでいる義伯母のところに引き取られた。
しかし、そこも居心地があまり良くなかったのと、
まだ60代なのに軽い認知症の気配もしてきたため、
姑自身の希望で、舅の遺産と義実家を処分したお金で、今後介護が必要になっても対応できる
遠方の上等な有料老人ホームに入ることが決まった。
無事に引越しが終わったのが先日。