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659: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)00:22:24 ID:p6j
取り留めの無い長文で恐縮ですがご容赦ください。
崩壊はある日突然訪れました。
私がまだ幼い時、両親が交通事故で他界し、当時比較的若かった父方の祖父母の養育と母方の支援も受け
慈しまれ育てられました。お金のことは心配ないと短大にまで進学させて戴き
憧れ、目標にしていた両親が生前勤務していた企業に就職することが出来ました。
就職して四年ほど経った頃、電車に乗り帰宅していると若い女忄生に声を掛けられ
顔を見ると通勤や帰宅時にたまに見かける女忄生で、その日以来顔を会わせる度に会話をするようになり打ち解け
名前や連絡先を交換するまでになりました。女忄生の名は美鈴と言い
彼女の忄生格に惹かれ好意を抱き告白しようと思った頃、先を越される形で告白されました。
私は喜んで受け入れそれから三年の間お互い愛を育み、今度は先を越されぬよう結婚の申し込みをし
美鈴も感極まった表情で受け入れ、結婚しました。
お互い支え合い愛し合い、本当に幸せな毎日でした。そんな生活が二年続き、そろそろ子供が欲しいと思い出した頃、
会社の事情で海外支社へあくまで正式な担当者が決まるまでの一時的な措置という話で私が指名されました。
私は断固拒否しましたが、適任者は私しか居ないと上司に説得され受け入ざる得ませんでした。
私は沈痛な気持ちで、美鈴に報告しました。彼女は泣き出しましたが
数日後、気丈にも少しの間だけだから大丈夫と言って同意してくれました。
辞令が下り、出国の当日空港に向かう車の中で黙ったまま手を握り合い、そして出国ゲートで涙を堪え
いつまでも私を見送る美鈴に私は何度も振り返り、何度も手を振り別れを惜しみました。
私は遠い海外の地で少しの我慢だと自分に言い聞かせながら日々仕事に励みました。
正直嫌な予感はしていたのですがいつまで経っても正式な後任とやらは決まらず
一年が経ち、あと一年、次の年が来ると、流石に強く抗議はしましたがもう一年だけと延ばされ、
ようやく国内勤務の内示が出た時には三年の月日が流れていました。
私はすぐさま美鈴に電話をかけ、日本に帰れること。一緒に暮らせること。これまでの勤務が評価され上位部署へ配属されること。
昇給することを報告しました。美鈴も嬉しそうにしていましたが
どこか上の空で元気の無い印象を受けましたがその時は気にかけませんでした。
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